【ち】《 遅刻 》「わたし、夢を見ているのかしら」
【ち】《 遅刻 》
小学校の時から遅刻魔だった。
月曜は、朝礼のため校庭に整列している生徒たちの前を堂々と通り、校長先生を唖然とさせていたそうだが、そんな光景も高学年になるころには恒例になった。
2009年の初夏、一度だけ、時間通りに待ち合わせ場所に行ったことがある。その時のコレステロール伊藤の反応が尋常ではなかった。
みなが集合して、電車に乗り込んでからの30分間、ずーっとその件(私が時間を守った件)について
「わたし、夢を見ているのかしら」
と何度も言う。あげくの果てには逆ギレのように
「なんか(アソビの)顔が変わったよねー」
「老けた(一ヶ月くらい会ってないだけで)」
「髪の質も悪いんじゃないの」
「ふつーになった」
「更年期じゃないかしら」
と、とにかく遅刻をしなかった私のことが気に入らない、許せない、断じてけしからん様子なのだ。ふだん一番文句を言うのも彼女だ。どっちにしても言われるのか!?
そのしつこさに閉口しながらも、彼女に痛々しさと哀れみを感じ
「ああもうわかったよ、遅刻すればいいんだろう。遅刻すれば」
と投げやりな気持ちになると同時に、わたしが遅れないことがそんなに珍しいことなのか?もしかしてセーフ初体験なのか?と必死に過去を振り返ったが、ついに思い出すことはなかった。
当日は友人Mの納骨の日だった。
わたしは、今後一生、友人を落胆させないために遅刻をする、しまくることをMの墓前で誓ったのだった。
対抗するわけではないが、わたしより上をいく遅刻魔、それが息子のオンだ。
小学校の時は起床5時でいっさい遅刻をしなかった。親バカながら
「この子はわたしに似ないでえらいなー」
と思っていたが、中学の時に遅刻魔としての頭角を現した。
何度起こそうと起きない。やっと起きたと思ったら、のんびりと朝食を食べ、シャワーを浴び、いってきまあすと出ていくのだった。高校では、そのうえにコンビニでのうのうと立ち読みなどして登校するものだから、とうとう『あと1回遅刻すれば退学』というところまできてしまった。わたしたち身内と友人らで、もうこうなったら校門前で寝袋宿泊するしかないというとこまで考えたので、退学にならなかったのは、奇跡と言っても過言ではないだろう。
わたしはオンが、『慌てる・焦る・急ぐ』ところを見たことがない。今では遅刻どころか、来るか来ないかさえわからないので、誰もオンのことはアテにしなくなっている。あいかわらず周囲に甘やかされてばかりだ。こんなことでこの世を渡っていけるのか心配な面もある。
アテにされないことはまったくさびしいことだが、本人はいたって楽に生きている。そのうち痛い目に合うといいが、親が親だけにきびしく叱れないところがつらいところだ。彼もまた、いつかまともな時間に登場した時、友だちに驚愕され、執拗に文句を言われることだろう。ザマーミロ!
「わたし、夢を見ているのかしら」
「わたし、夢を見ているのかしら」
「わたし、夢を見ているのかしら」
ほんと、しつこかったなーアレは。
本日のオススメ本ですね。大人にもこどもにも。
【た】あんたタメ? 私タメ。
【た】≪タメ口≫
今日は『宝』をお題にして
「わたしの宝物は友だちです!」
と書こうと思ったのだが、過去の記事で宝についてはガッツリ言及していた。
しかも
「わたしに宝物なんてない」
とまで書いてある。
つーわけで、わたしの宝物はナシッ!ということで、別の話題に切りかえた。『タメ口(ぐち)』です。タメ口でいきます。
敬語が苦手である。無意識にタメ口をきいてしまう。
元々「ため」は、博打用語で「ぞろ目(同目)」をさし、対等という意味だというが、わたしの場合、初対面だろうが年上だろうがおかまいなしだ。失礼なヤツだと思われることも多々あるだろうし、敵もどんどん増殖していることだろう。
もちろん敬語を使うこともある。それも無意識だ。(あ、わたし、敬語話してる)と途中でハッとして、路地裏のノラ猫のように、相手に対して警戒心を持っていることに気付く。
わたしの横柄な態度を、おもしろがってマネする友だちもいる。客観的に自分をみると、たしかに態度がでかい。わースゲーなー!と、自分でもあきれ果てる。しかしこれを直そうとすれば、きっと萎縮してしまう。なにも話せなくなってしまう。話しちゃいけないいけないと思い、窒息してしまうかもしれない。
リアルでなくてもそうだ。
先日、写真家のいくしゅんが、わたしとはじめて接点を持ったときの話を友だちにしていた。
彼が、展示会でのトークイベントをTwitter上で告知したところ、
「土曜日にしてっ!」
とわたしがいきなりリプライ(返事)を飛ばしたのが最初だったと言う。面識のない相手に、タメ口どころか命令口調である。幸い彼はわたしのことを知っていたし、彼は彼で頭がそうとういっちゃってるので問題はなかったようだが、これが完全に見知らぬ相手だったらいったいどう思われたことだろう。不躾な輩だと、憤慨されてもまったくおかしくはない。
わたしはこのタメ口によって、相手を不快にさせたことはあったかもしれないが、不快な思いをしたことがない。トラウマがないので、まだこうしてタメ口路線を疾走しているのかもしれない。
逆に、タメ口で話されることはどんな人であれ歓迎する。むしろ、ずっと敬語で話されると、ジリジリと精神的に後ずさりしてしまうような気がする。
友人の子が、小さい頃から知っているのに、大学生になっていきなりわたしに敬語を使いだしたことがあり、あれには淋しい思いをした。
「お前なー、お前のチンチン見てるんだぞ、わたしは!」
と言いたくなった。ただ、これは彼の一時的なマイブームだったようで、またタメ口に戻っている。青春ってすばらしいな。
もちろんタメ口を推奨する気はない。TPOをわきまえた会話をすることは大切なことなんだろう。だが、わたしには、誰でもできればタメ口で話してほしいと思っているから、自分もタメ口で話し続けているのかもしれない。気付かないうちに、必死な努力をしているということもできる。えーー!努力の賜物なの?これ。
でもってこの涙ぐましい努力によってきらわれることはまったくかまわないのである。むしろ、
「タメ口で話すなど無礼千万!」
とご立腹なさるお人柄の方には、徹底的にきらわれたいと思う。でもってそれを口頭で伝えてもらえるとなおうれし~な~。だって、面白いじゃないですかー。ご立腹者って。そしたら
「あははー!怒ってるぅー!」
と、指さして爆笑したい。
※このタメグチについては、先日話題になり、私が先輩後輩のない部活動(個人競技でしかも先輩より記録がよい)を推して実行してきたことが大きいのではないか? という話も出たのでまた改めて考えます。
ヒサミチさんとこで知った、本日のオススメ本ですね。
こちらのコラムは本家ハチの転載になります。
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【そ】掃除好きの母親に生まれた子は……
【そ】掃除
わたしは掃除がきらいだ。日課としてホコリをとったり、脱いだものを洗濯カゴに入れたりということはできるのだが、定期的に窓を拭く、バスルームを念入りに洗う、さらに言えば、身体をていねいに洗うことさえごく稀だ。
きちんと掃除をすることが、ひどく苦手である。
「でもいつも片付いているじゃない」
と言われることもたまにはあるけれど、それは忍法的に言えば目くらましにすぎない。引き出しや押し入れの中は荒れ放題。メイクをして、たとえいい服を着ていても、お風呂がキライ。それと同じで中身がグチャグチャなことは、よほど親しい人でないと気付かないのだろう。残念ながら、わたしの頭がからっぽだということも、このことに比例している気がする。
だからというわけではないだろうが、汚い部屋がすきだ。いわゆる汚部屋に行くと、安心して長居してしまう。もうわたしの場所〜と、するっと入り込める。ああこれが、人間という生き物の住処だなーと思う。
考えてみれば、本気で好きになってつきあった男子の部屋は一様に汚かった。足の踏み場はベッドの上だけ、という、いかにも発展しやすいシチュエーションが多かった。あまりにもキレイな部屋に住んでいる男の子にどうしても耐えられなくなって、それを理由に別れたことさえある。
汚い部屋の持ち主は、細かいことを気にしないだろうし、裏表のない性質のような気もする。わたしは他人に対し、正面からぶつかっていく性格だったから、このほうが気が楽、ということなんだろう。
わたしはオトンの血を引いてるのだろうか。彼の部屋は雑然としている。ベッドとテーブルの間には何冊もの本が乱雑に積まれていて、そこには5つくらいの枕と複数の老眼鏡が落ちている。買物だけしてスーパーの袋から出してもいない謎の商品もたくさんある。そのうえに醤油やソースなどがこぼれて染み付いていることもあるそうだが、そんなオトンにオカンは降参している。あのオカンが! あきらめることで、精神の安定をはかっているのだという。長年の知恵、生きるための術なんだろう。
わたしの場合、オカンの反面教師ということもあるかもしれない。今はかなり緩和されたものの、以前は雑巾を一日中手放さなかったオカン。キレイ好きは度を超していた。
玄関はいつも拭いていたから、土足であがってはいけなかった。玄関なのに、土禁なのである。ゴミ箱にゴミを捨ててもいけないという意味不明なルールもあった。裏庭の大きなゴミ箱に捨てろと言う。わけがわからない。帰れば玄関の外でクツを脱ぎ、ゲタ箱に入れ、くつ下を脱いで大急ぎでバスルームで足を洗うことを義務づけられていた。キツネと狸のだまし合いのように、わたしは大げさにシャワーの音をだし、洗ったフリまでしてでてくるのだが、そこにまたバスマットで足を拭いてはいけないという難関がある。風呂場でキレイに拭いてから、バスマットにのるように義務づけられていた。生活雑貨たちの利用されない心情を思うといたたまれない。なんのために生まれてきたんだろう。そう哲学することはなかったか。 いたたまれないのは彼ら雑貨だけではない。元来おおざっぱなわたしは生きた心地がせず、家に帰るのが嫌でしかたなかった。落ち着かないのだ。家なのに! あのころのオカンは半分狂人だったのだろう。子どもにとっては大変な迷惑である。おかげで一歩外に出れば、わたしの天下だ。外出ばかりして、家には寝に帰るだけ、というクセがついてしまった。
こうして挙げてみると、わたしの汚いもの好きは、やはりオカンを警戒しすぎた影響が強いのではないかと思う。駐車場のコンクリの上で寝ることも平気だし、浮浪者と一緒にごはんを共にしたことも一度や二度ではない。服の袖口に食べ物の汁がついてもそのままにしてしまうし、手を洗えば着ている服かポケットの中で拭いてしまう。男についての好みも、「寝ぐせ」を1番にあげることから、やはり汚らしい人が好みなのだろう。なにしろダウンジャケットの敗れた箇所に、ガムテープを貼ってきた男に一目惚れして運命の人だわ!っと飛びついたくらいだ。
えーとなんだっけ、そう、掃除。こんなに掃除がきらいで、掃除機をかけることはめったにないというのに、4年の間に4台も買い替えてしまった。1年に1台の計算だ。吸引力が見事になくなってしまって、それでもついコードレスに手が出てしまう。これはあれか?あまりにもゴミが強力すぎるからか?そもそもゴミに強弱があるのかないのか知らないが、溜め込むとえらいことになる、ということだけはなんとなくわかった。 こんなわたしだが、年末の大掃除だけは欠かしたことがない。
「今年こそはやめよーかな〜」
と思いつつ、けっきょくは数日かけてやっている。あの行事がなければ、うちの台所や窓やお風呂場、トイレなど、どうなっちゃうかわかったもんじゃない。幸いオンが、大掃除をなんらかの呪いと思っているらしく、「やらないと来年不幸になる」ということを信じ切っているようで、大変重宝している。
そしてきれい好きなオカンはというと
「一年中きれいだからやる必要はないの」
とのこと。
それでいい。それがいいと思う。小学校のころは紅白やゆく年くる年の放送中は音が流れているだけで観ることができなかった。年が明けても朝方まで模様替えや掃除をしていたのである。掃除に終わり掃除に始まる。そんな年越し死んでももういやだ。 大人になってよかったなんてぜんぜん思わないけれど、眠たい目をこすりながら、いつまでも掃除を手伝わされたあの時代を思うと、今は天国だ。
本日のオススメ本ですね。 フツーの人のフツーの部屋を覗き見て妄想するたのしさ。住民不在。
【せ】正論について「男の人はみんな股間から見るでしょう!」
息子のオンが、朝から晩まで読書にハマり、やたらと理屈をこねくりだした時期があった。オカンはクソまじめなので、まともに対抗し、毎回言い負かされてくやしがっていた。わたしはというと肯定も否定もするでもなく、いつもニヤけながら聞いていたと思う。
彼の話はまったく的を射ていない場合が多い。いわゆる「屁理屈」だ。楽しい。
わたしはわけのわからない、自分では考えも及ばない話を聞くのが好きだ。オンに限ったことではない。想像をはるかに超える考え、ジョーシキからかけ離れた思想、ちょっと狂った主張を見聞きすることはコーフンする。
ああ、そういう人もいるんだあ……。と、つくづく感心する。浮世離れしていればしてるほどいい。人間の可能性を見た気になる。
ズレた考えの持ち主は、たいていが確信に満ちている。自信にあふれている。確固たる意志は、潔くて気持ちがよい。一般には受け入れられそうもない主義を貫いている人は、どんな曲がったものであっても、崇高に見えるときがある。
よほど非道な意見でないかぎり、自分とちがうからといって反論する気にはまったくなれない。(彼氏やダンナの場合は反論することもあるが)人は顔もちがう。肌の色もちがう。陰毛の濃さもちがうのだから思うこともちがって当然だ。それを自分と同意してもらおうなんて必死になるコトなどそもそも理不尽だと思う。論破してやろうなどという時間などムダ毛の極みだ。
これは、おそらくわたしが小学校のときからはじまったものだと思う。ホームルームの時間に、いつもわたしは1人だけちがう意見を言ったり突飛な提案をして、多数決により全員一致で却下されていた。親友でさえ失笑しながら『反対』の挙手をするのであった。わたしがこのように、人の意見をおもしろがるクセがついたのは、あのときから培ってきた自己防衛なのかもしれない。
何度も書いているが、へんてこな思考として、わたしは以下を筆頭にあげたい。
「トイレに行く」と恥ずかしいことを言うくらいならその場で漏らした方がマシ、と言って、車中で平然と漏らした男友だちのエピソードだ。クライアントのお偉いさんと車に乗っていたときのことだと言う。彼はこの話を、しごく当然のように真顔で話すのだった。これは彼の『正論』であり、異論を寄せつけない破壊力もあった。
元ダンナも少しばかり異星人的発想をしていて、わたしを嫁にするとき、オトンに
「一生しあわせにするなんてことはわからないので言えない」
と言ったそうだ。その通りになった。『正論』である。また、こんなことも言っていた。オトンが
「キミの将来の夢は?」
と聞いたとき、
「んーーーわかんないっすねえ......強いて言えばルパン三世ですかねえ」
このDNAを見事に受け継いでいるのがほかでもない、息子のオンである。
破壊力といえば、くされ縁のコレステロール伊藤ちゃんも負けてはいない。代表格は、男の第一印象をどこで決めるかという話題になったときのことだろう。
「男のことはみんな股間から見るでしょう!」
と、彼女は平然と言い放った。商店街ですれちがった男性を、片っ端からズボンの上から透視するんだと言っていた。あの時の彼女はすごかった。
「え?みんなそうじゃないの?ちがうの?じゃあどこから見るの?」
『正しい』という字はキライだが、個人独特の『正論』は、そこはかとなく愉快だ。
本日のオススメ本ですね
伊集院というよりも、阿佐田哲也こと色川武大が好きなので。
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【し】シラスとの戦い
本日のお題は【し】
ストレートに『死』しか浮かばなかったのだが、これはもう慎重に取り扱わなければならない。立ち入り禁止区域だ。
わたしにとってはもっとも縁遠い、カンケーないね!と思われていた『死』との距離が縮まった今、書き進めればコンランして支離滅裂になりそうな気がする。他人事だったら躊躇なく、ヘラヘラと書けるんだろう。
『死』は、ご存知のようにとてもヘビーな響きがある一方で、ギャグにもなりうる字。こんなにフリ幅の広い文字は、ほかにないのではなかろーか。
元気のカタマリのような人が、『死』とデカデカと書かれているプラカードを持って信号待ちしていたらウケる。トライアスロンをやってるような体型の人が、チャリで爆走しながら『死』Tシャツを着ていたら、
「ワッ!なにアレ!死に急いでる!」
とニヤけてしまう。距離があればあるほど、インパクトがあり笑いもとれる。そんな不思議な字です。死。これってわたしが不謹慎だからなんだろうか……。
あかの他人のお葬式で高笑いしていたらひんしゅくを買うが、もっとも身近な人の死で笑っていれば、気丈にふるまっていると言われる可能性はたかい。べつにそう言われたいワケではぜんぜんないし、いやむしろ冷めた目で見られるのは歓迎だが、わたしは両親が死んだら大いにふざけよう、とことんバカになろう、とにかくがんばるぞー!と、今から気合をいれている。
で、死については「死にたい人は、死ねばいい」そういうふうに思ってます。思っていますね、わたしは。
つーかここからが本題。実は「死」ではなくて「シラス」をお題にしたんだった。そのワリには長い序章だったが、「死」以外の言葉を探すのにどういうわけか苦慮した。最近、人生2度目の「シラスこわい病」にかかったことを思い出し、あそーだ、シラスだ、とココロの決定ボタンを押した次第です。
小学校1、2年だったと思う。ごはんに乗せていた「シラス」といきなり目が合った。一度気付いたらもう止まらなかった。おびただしい数のシラスのほとんどが、わたしを見ている! そう思った。にらみを利かせるでもなく、ただただ呆然と、アホみたいにシラスたちがこっちを見ているのだった。
「シラスがみんなこっち見てるよー。こわいっ!こわくて食べられないー。ママー!ぜんぶどけて〜!」
当時のオカンの性格上、間髪入れずに激高されたはずだがまったく覚えていない。わたしはオカン発狂の記憶が抹消されるほどの恐怖をシラスに味わったのだ。いや食べてない。ただただその怖さにおののき大量の死体を食べることを全力で拒否した。
それからは幸い発病することなくおいしくシラスをいただいていたはずだが、つい最近、いきなりこの「シラスこわい病」が再発。
あ、こいつ、わたし見てる......。からはじまって、当時を思い出した。
わたしはもう大人だ。より観察力も磨きがかかってしまった。まず、瞳孔はみな開きっぱなし。あたりまえだが目を閉じてるシラスは一匹たりともいない。よく見ればアッチの方を向いているものもいるにはいるが、ほとんどのシラスがやはりわたしを見ていた。なにかをあきらめきったように、うらめしい眼でじっと凝視していた。これでもか、とクネらせているカラダは死の瞬間にあえぎ苦しんだことを全身でわたしに伝えようとしているではないか。
キョエーーー!
ウギャアーー!
ギョエーーー!
アチーー!
阿鼻叫喚である。やっぱり恐ろしかった。
でも見てんの、こっちを。このうすら寒い、なにもかも放棄したような目がいっせいにわたしを見ているのだ。怖くないはずがない。この地獄絵図そのものを、わたしは食べるのか。
食べたねー。大人だからねー。もったいないからねー。
しかし一度試してほしい。いったんヤツらの目を意識しだすと、「シラス」が「死体」になってしまうことを、得体のしれないあの恐怖を、体感してほしい。
そしてわたしは死体の山を食べた。しょうゆをかけて、花かつおといっしょに、一匹たりとも逃しちゃならんと、ひとつ残らず。
今日のオススメ本ですね
【さ】甘けりゃいいってもんじゃあないんです
わたしの砂糖好きは、幼稚園のころからはじまっていた。
朝食はいつも目玉焼きとサラダ、トースト、果物。そしてリプトンティーパックの紅茶。その紅茶に、砂糖をドバドバ好き放題いれていたことをよく覚えている。小学校のころは、オカンに隠れて砂糖を食べていて見つかるたびに発狂されていた。上白糖しか家になかったから、友だちの家で角砂糖を出されたときには、この世にこんなおいしい食べ物があったなんて!と感動したものだ。茶色い砂糖(三温糖)を見たときもコーフンして、「そんなによろこぶのなら......」と、おばちゃんが袋をそのままわたしにくれたことがあった。よほど気の毒な子だと思ったのだろうか。
誕生日や送別会に、砂糖詰め合わせをもらったこともある。それくらいわたしの砂糖好きは周知されていた。
砂糖消費量は、1週間で1kg。喫茶店でコーヒーや紅茶を頼むとき、同行者はうれしそうに「砂糖、多めにください」と言ってくれる。アイスコーヒーは、4分の1くらいシロップが沈殿する。濃度が高ければ高いほど、ボーダーラインがくっきりと分かれる。実にうっとりする。はじめて見た人の多くはおどろいて写真を撮るのだが、そんなことされるからわたしのサービス精神は助長され、ますます摂取量が多くなるのだった。
こどもが小さいころ、毎日のように子の友だちがうちに来ていたが、やつらはわたしの仕事机にあるコーヒー牛乳の甘さを知っていた。そしてわたしが目を離したスキに盗み飲みするのだ。おかげでどんどんエスカレートし、家でも甘い飲み物を欲するようになる。あげくのはて虫歯になる。近所のおかーさん連中からは、オン(息子)ママのせいでうちの子は虫歯になった、と散々言われたものだ。知らんがな。
過去、半年か1年くらい砂糖の量がゲキテキに減ったことがある。同僚がこれ以上ないほどご熱心にわたしを監視したためだ。彼女はエスパーだった。見つからないように背後で、そーっとスティックシュガーを破いても、なぜかガキッ!と振り向いて、「今3本目でしょ!ダメッ!」とピシャリ。わたしはそのしつこさとただならぬ勘の鋭さに白旗をあげ、とうとう事務所でコーヒーや紅茶の類いを飲むのをやめてしまったのだ。
で、この砂糖好きは親子三代に受け継がれたものだ。
オカン、ばあちゃん、わたしで喫茶店に行くと、シュガーポットの中身がほとんどなくなってしまう。そしてばあちゃんはオカンに「砂糖摂りすぎじゃーね、ちーとは減らしんさい」と苦言を呈する。オカンはオカンでわたしに「カラダ壊すよ、減らしなさい」と言う。わたしは文句リレーをする相手がいないので、ケッ!と思いながら無言で砂糖をじゃんじゃん入れる。それでもばあちゃんは94で天寿を全うした。砂糖で死ぬことはない、そう思っているし、あんなに甘いもので死ねるのならそれはそれでいーんじゃないかなー。
ちなみに黒砂糖はきらいです。チョコはもーっときらいなの。かんちがいしてる人が多いので言っておきます。よろしくおねがいします。
本日のオススメ本ですね
こちらのコラムは本家ハチの転載になります。
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【こ】こどもという生き物
事務所にて、『浮浪者みたいで見るに堪えないので髪を洗え』と指令が出たので、給湯室で洗ってきました。しかし髪をタオルで巻いてる姿こそ、見るに堪えないのではないでしょうか。しかもこのタオル、半雑巾。土屋遊です。このまま喫煙場に行って、ビル全体の喫煙者たちを仰天させたいと思います。
さて、今日のお題は【こ】。
私は子供(とくに小学生)が面白い生き物だと思っているので今日は『子供』でいきます。
一番好物の年代は8~9才くらい。小学生で言うところの3年、4年生くらいです。だってあの子たち総体的にバカで自由でしょう?いいよねーバカ。バカさいこーですよね。『うんこ!』って言っただけで腹を抱えて大爆笑してくれるんですよ。
いつまでも少女のようだと言われると、ギョッとしてゲッーとしますが、少年のようだと言われるとキュンとします。私はいつまでも少年のようでいたい。つかいたかった。いつのまにかうす汚れた大人になってしまいました。今、半雑巾頭に巻いてるしね。でもね、ついこの前までは、の、ようであったと思います。だから、昨日ツイッターにも書きましたが、私の理想の女性は2年半以前の私自身。自由で、奔放で、何事もどーでもよくってウンコで爆笑できた土屋遊なのです。
昔、ぬいぐるみ作家のせこなおさんに、私のボンクラポエム本『ボン!キュン!ボーン』の感想をもらった時はものすごくうれしかった。
>小さな男の子が泣くのを堪えて強がり言ってるような雰囲気があって、切なくて愛らしい
ほーら、私は少年も好きなら強がりも好き。なんという観察力。なんという感受性。
ところでイカタコ本はまだまだあります。販売促進に勤しんでおりますが、いずれ落ち着いたら小学3,4年生を題材にしたコラム集なんかを編集・出版したいと思ってますのでよろしくお願いします。
さて。
幸いなことに、私は男の子を授かりました。父親もいつまでたってもガキのような大人です。母としては失格かもしれません。かもじゃなくて失格です。でも、子育ての楽しさったらハンパなかった。毎日毎日朝から晩まで遊びました。毎日キラキラ、本当にキラキラしていました。今思い出す時、まぶしくって目が潰れちゃうんじゃないかと思うくらいです。
彼のおかげで色んな事を学んで、たくさんのことをさせてもらって、泣いた日も叱った日もありましたが、それ以上に大いに笑わせてもらいました。おかしくってかわいくって大好きなのです。
さっき私は私自身が理想と書きましたが、かといって誇れるものはとくにありません。
唯一息子のオンだけが、あの、飄々とした生き物だけが、私の誇りそのものなのです。いや、埃じゃなくって。
寝グセ
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