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Weekly Teinou 蜂 WomanにUPした記事内テキスト抜粋Blog

女性器なんて呼んでるアンケート『土屋遊マンコ係宛』のメールが10通以上きた

カンケーないけど、数年前、当サイトでは女性器のことなんて言ってた?アンケートなどをとってよろこんでいました。

「われめちゃん」「おまた」「おめこ」「チャンペ」「おしっこのとこ」「おじょんじょんさん」「おぱんぽん」 「ホーミー」「オベッチョ」「べべ」「お富士さん」などのナゾの言葉で埋め尽くされてなんだかメールソフトが大変な事態になっていたんですね。そして礼儀正し くも『土屋遊マンコ係宛』のタイトルのメールを10通以上頂戴し、自分で決めたとはいえ、受信時にはさすがにドキッとしたものです。
こんなハナシを思い出したところから始まったんですね。ばかみたい。

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あれは小学校2年生の頃だったでしょうか。
オカンの友人宅へ泊まりに行った時のことです。
友人達は、女臭ムンムンの女性達ばかりが集っていました。みなさんけがわらしい異性関係を遂行していたようでしたから子供は私一人。そこで飼われていたドーベルマンとシェパードだけが話し相手でした。(その後火事で焼け死んだそうです)
さて。オカンが私に、そろそろお風呂に入れと促しながら
「よそのお宅なんだからお湯につかる前にきちんと体を洗い流しなさいよ」
と言ったあと、銀座のマダムをしていたババアが
「ちんちんも洗わなきゃダメよ~」
と続き、他の女どもも
「ははは!女の子だからチンチンじゃないじゃな~い!?」
などといい気になって笑っていました。
私はなんだか自分がバカにされたような気になってシャクに障りましたが、かしこい私はそういえばちんちんは付いていないのになんでちんちんと言うのだろうと思い、
「ちんちんじゃないなら何て言うの?!」
と聞くとまたさらに笑い転げているだけで誰も答えてくれません。
「ねえねえ!女の子のちんちんは何て言うの!何て言うの!」
としつこくしつこく食い下がっていると全員黙りこくってしまい、メス豚どもに勝利したような気分になったことと、そのあともちろんカラダもマンコも洗わずに入水、大理石のバスタブに放尿して大満足したことを力強く覚えています。


しかし私はいつ女性器を俗語でマンコと言うことを知ったのでしょうか。
道ばたに落ちていた小汚いビニ本でしょうか。それとも寿司屋の息子が「押し入れに入っていた。怖いよ~」と泣きながらせんべい屋に持ってきたSMスナイ パーだったのでしょうか。もしかして小平図書館で見た衝撃本『ぼくどこからくるの』と言う性教育の本だったでしょうか。あの時は翌日に大勢の前で朗読した ものですが確かヴァギナという聞きなれない言葉はあってもマンコというわかりやすいヒトコトはどこにもなかったような気がします。


それにしても、男女平等がヒステリックに叫ばれる昨今において、チンチンだけが大衆化し認知度も高くなんとなく口にしても許される傾向にあるのはいったいどうしたことでしょう。
しかもチンチン、チンコ、オチンコ、ポコチン、チンポコ、オチョンチョン(Myオカン発)とバラエティに富んでいるのに対し、マンコの貧富さ、子供時代におけるその普及度といったら嘆かわしいかぎりです。
女性平等を唱えるおそろしい形相のオバさま方は、ヒステリックに女性蔑視を訴える前に、まずは自分の娘、親戚一同、町内会のみなさま方に対して「自然にマンコと言える社会」にするべく、『マンコ宣言普及活動』を地道に行うべきだと思います。


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結果はこんな感じだったんですよねー
「そのほかバリエーション」がすごすぎる、ニッポンの女性器


項目名 票数 グラフ
その他 409
(お)マンコ 269
アソコ(アレ) 258
(お)ちんちん 104
(お)マンマン 37
ヴァギナ 20
(お)チンコ 18
 

27才の悟りと52才の悟り 

私が考える悟りのイメージ 

「ちゃんと土日休めて、あるていどのお金が入るのが1番だな〜って最近思い始めたんっスよね〜。年なのかな?」

こちら、弱冠にプラス7年、27才男子の発言である。というか生まれてまだ27回しか年末年始を迎えていないのである。というか息子のオンと同じ年である。というか隠毛も生えそろっていない可能性がないとも言えないではないか。

こんな、時勢を達観した考え方に感嘆した。正直、彼の倍近く生きたであろう私でもこの境地に達していないというありさまだというのにこの悟り。

「すごい…おじいちゃんみたい…」
とつい口走ってしまった。いい意味で、だ。いい意味でのLike a おじいちゃんだ。

その後、
「この世の食べ物で何が一番好きか?」
という私の質問に、ほかの人たちが
「お寿司」
「ラフランス」
「北京ダック」
と即答する中で、長考していた彼が言い放った。

「ん〜……ラーメン? かな」

かわいいな、オイ。
(即答で北京ダックもどうかと思いますが……)


たぶん、何かを悟ってしまった推定4歳児

27才の安定話のことをしばらく考えていた私も52年生きたなりの悟りを開く決意を固めた。そして悟りはあっさりと10分程度で開いてしまった。真理を得心するには意外と時間がかからない。私の悟りはこうだ。

贅沢は言わない。自由に起きて好きな時に寝て、モーレツに仕事してキョーレツに遊ぶ生活がいい。

これを発表したところ
「それはサイコーの贅沢」
と一同に返されたのでちょっと解せないでいる。
サイコーの贅沢に「モーレツに仕事」など入ってたまるか。

ところでまったく関係ありませんが、こちらはうんこ当てクイズのオモチャです。



画期的なので親戚の小学生に贈ってデンジャラスおばちゃんと言われたい。

緊急地震速報音を作った人は、ゴジラのテーマ曲を作った伊福部昭先生の甥     

昨日、仕事をおっ始めようとパソコンに向かったところ、轟音が聞こえて怯んだ。
マンション内の警報かと思ったら、すぐそばに置いてあったスマホことiPhoneからで、「貴様、そんなでかい音だせるんか。つか何?」とたぶん5秒くらい凝視してしまった。

ミサイルが飛んでくるような勢いの警戒音。
すぐに地震速報だと気づいたけれど、あれはいかにも人間をたじろがせる。後期高齢者、よく心臓発作起こさないな。音を作った人、すごくないですか? 心理学者とタッグを組んだのかもしれない。あの音にビビらない人がいたら頼もしいな…と思ったけれど、慣れというものは恐ろしいもので、四六時中聞いていればビクともしなくなる可能性の方が高い。

こういうときは、何をおいてもTwitterである。
あの音に起こされたという人が散見された。
そっかーすでに寝てる人もいるのかーと思ったらパソコンに向かっている己がバカらしくなってしまった。
その後しばらくTwitterをしていたので、けっきょくはもっとバカバカしい時間を過ごしたことになる。

それにしてもあの音は見事だ。
目覚ましのかわりになるアラーム音を散々探した過去がある私からすると、この音源こそ買ってでも入手したい。やればできるんじゃないか、と、出来の悪い息子だと思っていたけれど意外と頼もしいなと感心している親のように、誇らしい気持ちに満ち足りていた。

一夜明け、冷静な脳で考えてみたら、やればできるけどあえてやらない息子ことマイiPhoneにはかわいさ余って憎さ百倍。いやちがう。そもそもかわいくはない。かわいさ皆無。「無」の最高位。音出さないならとっとと捨てるぞと言いたいところだが、そんな潔いことができるはずもない。便利の塊を手放せないただの現代人になってしまったな。



余談というか、このアラーム音ではなくてテレビ局の緊急地震速報音は東大名誉教授が作ったとのこと。ゴジラのテーマ曲を作った伊福部昭先生の甥にあたる。なるほどねーと思った。なにがなるほどなんだかわからないけどそう思うことってありませんか? 私はあります。今です。

子育ては三種の神器(ルンバ・衣類乾燥機・食洗機)がマストと喧伝する小さな罪   


「共働き子育てには、三種の神器(ルンバ・衣類乾燥機・食洗機)がマストアイテム! シッターも便利に使って、たまにはハウスキーパーにおまかせしましょう!」
というツイートが、たまにすごい数で拡散されている。
リツイートは否定の意味もあったりもするけれど、これに限ってはほぼ100パー賛同の意味でまちがいないだろう。

私はそれを目にするたびに、ひとり親家族やアパート一間を余儀なくされてる親がみたらつらいなコレとか思ってしまう。

オカンがめずらしく小学校のPTAで一悶着起こしたことがあった。

「修学旅行の積立金は一括で支払うことにしましょう」
という提案者らとモメたのだった。なかには滞納者もいてその催促が大変だという理由だったらしい。
ほとんどの役員が賛同する中、オカンは頑なに反対した。
これは、人に好かれたい一心で、対外的には自分の意見をすぐに曲げてしまう外面がいいオカンにしてはめずらしいことだった。

今はどうだか知らないが、私たちの住んでいた地域(あるいは時代)は貧富の差がわりと顕著だった。
富裕層は家が迷路のような豪邸もあったし、夜会のようなロングドレスやネクタイを締めてスーツを着てくるような小学生もいた。反面、貧困層は小学生高学年で新聞配達をしているような家庭もあった。
幸いだったのは、私の知る限り、ドレスやスーツもお古の服を着た子供たちも、傲慢にも卑屈にもならずに自分の状況を受け入れて、ただ「気が合うか合わないか」で遊んでいたことだ。



子供や若年層から学ぶことがたくさんあると私がいつも思うのはこういうところだ。
まだ私たち子供は親からの(悪い意味での)情報を体内に注入することなく過ごせていた時期で、資産・家柄・所有物・家庭環境などで友達を選択するなんてバカげたマネはけしてしなかったし、そもそも考えも及ばない。
性善説ではないけれど、これがきっと人の原点で、差別をはじめるとしたらそれは身近なものからの「情報」がそうさせてしまう。

で、件の修学旅行積立金の話に戻る。
よほど悔しかったのだろう、この流れはその後オカンからなんども聞かされることになるのですっかり把握してしまった。

子供が働いている家だってある。当時はめずらしかった母子家庭もあるのだとオカンが説得を試みたら、そういう家庭は充分な生活保護をもらっているから実際は不自由していないし、払えないはずはないと反論され、その時点では一括払いが決定したらしい。(その後覆されたような気もする)

うちはたぶん、一括払いが難しい収入ではなかったはずだが、他人の生活状況を考慮する人がほとんどいないことにオカンは憤っていた。
帰宅後もオカンの激昂は収まらず、興奮のあまり震えながら泣いていたのを思い出す。
その怒りの原点がまだ理解できる年齢ではなかったけれど、こりゃ今なにかしでかして刺激したら大変なことになるぞ…とやたら身の安全だけを考えた記憶が鮮明にある。

一括払いの提案者は友人の母親で、家に行けばやたらお菓子をくれるやさしいおばちゃんだった。だが彼女もまた「三種の神器はマストです」と断言する類の人なんだろうと今なら思う。きっと悪気はない。だが、無知は罪という言葉を、今こそ使いたい。



また、これは成人してからの話だが、クルーザーを成人の祝いにもらうようなボンボンの男友達がいる。彼が、
「僕ら金持ちも貧乏人も、時間だけは平等だからねえ……」
と言ったことがある。
その時、
「はあ? 何言っちゃってんの? 」
と、飛行機と青春18切符、タクシーやチャリの話をして「貴様はアホか」と反論したけれど、それはまた別の話なので割愛する。

この内容は気に入らなかったけれど、彼が「金持ちと貧乏人」とキッパリ分けたことが、ふだんの発言もふまえてではあるが私はうれしかった。
『貧乏人』という言葉から、差別的な要素を感じとれるかもしれないけれど、彼にそういった意識がないのは明白だ。(だって私と友達ということからもわかるだろう)
言葉は悪いかもしれない。けれど、それは差別ではなく事実だ。彼はちゃんと、そういう暮らしがある、つつましく生活している人たちがいるという事実をちゃんと知っている。
三種の神器、マストじゃん?」
とは言わないということだ。

先述のマストアイテム主張ツイート主も、一括払いの友達のかあちゃんも、もちろん人を蔑んでいるつもりは毛頭ないだろう。わかる。

けれど少なくとも、「(三種の神器)あたりまえ」という風評にならない世間を私は希望しているし、自分の環境しかわからない、わかろうとしない人間に、たとえば政治家や教師になどなってもらったらマジでヤバくないですか? と私はつくづく思うのだ。

「絶望」。ちょっと待って。



「一度メンタルぶっ壊してしまったら、立ち直っても昔の自分には戻れない」という旨のツイートがたくさんの賛同を得ていたので、「ちょっと待ったーーーーー!」と言いたくなってしまった。

言いたくなったけれど、この説を否定するつもりはないし、もちろん赤の他人にちょっとタンマをするつもりもない。

ただ、そういう方もいますでしょうが、そうでないケースもありますよね、と言いたい。今、絶賛絶望中の人たちに言いたい。

戻れない人もいれば、完全復活する人もいるし、さらにパワーアップする人もいる。そして、立ち直る前にこの世からあっさり消える人もいたりと諸々一概にぜったいとは言い切れない。これは元来の性格にもよるものかもしれないし、物理的なナニか、かもしれないけれど、絶対的にオール戻れないわけではないです。

ソースは私ですので。

もちろん個人差はあると思うけど、私の場合は丸3年間ダーク沼にいた。
・最初は底なし沼からあがきもがいて
・そのうち生活を地獄と称しては、ここから脱するためのただひとつの方法(死)に支配され
・最後は気持ちを「無」にしてただ息をしているだけの物体になれば楽になるかもしれないと試みるも失敗しつつかろうじて歩く。
鉛のような足を一歩ずつ、右足…左足…ここで一呼吸。比喩ではなくこうして歩み進めては疲弊することを積み重ねた生活は、皆さんよくご存知の「生きる」ってことだったんだと思う。ある日突然理由もなく霧が晴れたのはラッキーだった。



あらゆる関係書籍をかたっぱしから読んで、実践しつつも途中で挫折。病院を転々として薬にも詳しくなった。それらが役だったかどうかといえば怪しいけれど、まったくすべてが役立たずだったかといえばそうとは言い切れないというかわからない。

ただ、理由は何にせよ「メンタルの破壊」(あるいは何かがトリガーとなった病気といってもいいかもしれない)、この体験がよかったかよくないかといえば、身内や友達にはぜったいにこんな経験をさせたくないという点でよくないと思う。できることなら無傷で一生を終えたほうがいい。

でもですね、あんなに強靭な精神と能天気な性分を自負していた私でさえ損壊したのだ。どんな人でもなりうる。なったからといって完全絶望しないでほしい。

いや、真っ最中は絶望的だ。そりゃもうすべてが、なにもかも、そこらへんを歩いてる人たちも、遠足中の子供たちも、カートを押す老人も、目に見えるすべて、想像するぜんぶが絶望以外の何者でもなくなる。けれどもとりあえず息さえしていれば、絶望を脱する、つまり、一抹の希望がでてくる可能性はゼロではない。
もちろんこれから先、這々の体で何年生きていたところで、死ぬその瞬間までなにひとつ変わらないかもしれない。けれども希望がでてくる可能性はゼロではない。今ここで死んだらゼロだけど、死ななければゼロじゃないよね? わかるかな。わかるよね? ゼロじゃないよね? って言いたい。

まぁ死にたければ死んでもいいと思う。それは悪ではないし、悪とか罪とか決めたのって、あとに残されたものの勝手なご都合だしそんなものに縛られることはないけれど、罪悪とまで言ってよく引き止めてくれましたな、ありがとうご都合主義ども、とも思えます。

死なない方が可能性はあるので。ゼロではないので。自己嫌悪がピークに達したあとだって、また「うわ〜自分ラブい〜」と自己愛に満ちたラブライフを送ることができますので。たぶん、だいじょうぶ。だいじょうぶなんで。だいじょうぶです。

やまうちたかしの縄文ヤッホーとTETOKAの想像力ヤバいって話


やまうちたかしさんの縄文ヤッホーを観に行った。
河原で焼いた、大小さまざまな土器や土偶、そして絵を展示・販売している。

彼の作品は、立体でも絵画でもどこか園児が帰り道に拾ってくる石ころみたいなあたたかさというか、素朴というか朴訥としたものを感じる。
スモックとか、園児服のポッケからでてきてもおかしくない。
やまうちさんを知ったのはかなり昔のことで、きっかけがなんだったのかはさっぱり覚えていない。
美術関係ということも当初は意識してなかった。
ただ、Blogの普及前からなんだかセンスのよいサイトを作っている、とんがった(アイドル)オタクがいるなあ…という印象だった。

彼が夢中だったアイドルがいったい誰だったかは完全に忘却しており、当の本人までもまったく思い出せないという。
ギャラリーの方や友人が「誰だろう誰だろう」というので、私は渾身の力で脳内を振りしぼってみた。
顔のイメージと関連ワードだけが浮かんでくる。

・カレー
・三文字
・顔がパンパン
・弟
・日本人じゃない

これでわかった人います?
まあ考えなくていいんだけど、しかしいるのである。
この連想フレーズだけで、友人のまーさんが見事に言い当てた。
ソニン!」
それだあああああああー!

誰だろう?
と考え始めてから、およそ2時間後くらいのことだった。



それにしても。
あれだけアイドルオタクの印象が強かったのに、本人がてんで思い出せないという事態にはおどろいた。言及していたのはほんの一時期のことだったのかもしれない。人の記憶や思い込みというものは、実にいい加減なものである。

こんなことを書くのは、展示会場であるギャラリーTETOKAのWEBが『なりそめ』について触れていたからだ。
マジックコバヤシさんが、やまうちさんのことを書いた紹介文に私のことが載っていた。
早い話が、マジックさんは、うちのサイトでやまうちさんを知り彼に興味を持ったとのことで、とのだちのともだちは…のテレフォンショッキングのようなつながりなのだった。
jp.omolo.com/?p=3023

やまうちさんは、縄文やら土偶の専門的な話をまーさんにしていたけれど、私は主に、
「焼くのに6時間かかること、河原で焼くので付きっきりでいなければならないこと、なので暑い。この時期めっちゃ熱い」
という話に食らいついた。
「殺人猛暑」と週刊誌が煽っている今年、想像だけでも倒れそうだ。



TETOKAには初めて行った。
このプレート(肉・魚・野菜とカンペキ)にカレーやごはんがついて、1,000円。
ボランティア並みだ。

内容と料金だけでも良心的なのはわかるのだけれど、接客力というか気遣いが、かつて経験したことないほどのレベルでじわじわときている。

ガムシロひとつとってもこうだ。

ふつうの店では
「ガムシロ多めにください」
と言うと、95パー2コでくる。
本当は4つ入れたいところだが、悪いというのもあるし、どうせ怪訝な顔をされてしまうので
「すみません、あと1コ…」
と遠慮がちに言わなければならない。

ところがテトカは、「多め」という私の希望に5つで勝負に出た。
しかも私が4つめのフタをあけていると
「あら。足りない? もっと持ってきます?」
と言う。
そんなことを言われたのは生まれて初めてで、ボクは感動の涙を……。

まぁ流しませんでしたけど。
さらに、メニューにケーキの文字を見つけ、
「ケーキあるんですか?」
と訊いたら、「今日はないけど」と、ちょっとなんだかよくわからないけどとにかくおいしいお菓子を出してくれた。私に出したからだと思う、ほかの席の人にまで出していた。(軽く感謝してほしい…ほかの席の人……)
しかもこのお菓子はサービスだ。
水代わりのお茶も次々についでくれたがそれもけっきょくサービスだった。

どんなに高級で、完全なホスピタリティのホテルやレストランでも「気づかい」に感動したことはないのに、ここにあった。神田にあった。
おもてなしとひとことで言ってしまえばカンタンだけれど、これは先の先をいく想像力が極まっているといっていい。
他人を不快にさせないように先手を打つ。これはもう性分だから、容易くはマネできない。私のように人の機微にドン感な人間にはとうていムリな話だ。はたして同じ人種だろうかと思ってしまった。



しかもこの大きめのグラスにはフルヌードのおねえちゃんがついている。
サイコーじゃないか?

ふつーにまた行きたい店ができた。



ありがとうございました。
やまうちたかしさんの展示は、7月末日まで。水曜定休で16時からです。
http://tetoka.jp/



そしてそして、やまうちさんの土偶だけれど、うちのはちみせで取り扱うことが決定しています。
はちみせオープン前、最初に決定したアーティストがやまうちさん。

あの、ネット上のソニンアイドルオタクと私の関係が、こういうカタチでずっと繋がってるのって考えてみたら笑っちゃう。
人の縁とかうさんくさくて考えたことないけど、これがもしかして「縁」っていうのかもしれないね、とかね。

というわけで、8月中旬には告知しますのでよろしくおねがいします。





もう誰も信用できない。

いつも私がちょっとでも違法なことをしようもんなら血相変えて大声で(下手したらスピーカーで)文句言ってくる一派がいる。
南台交番の輩である。

それが、ヤンキーっぽいデカい男が赤信号を渡ったら、
 「赤ですよ〜」
とラブソングを歌うかのようにやさしく注意していて三度見してしまった。

三度見した。
警察官にあるまじき行為である。
 
というわけでそのほかは本家のハチでどうぞ

猛暑大爆笑

23日の暑さにはヤられてしまった。

炎天下のなか外に出たら、日差しというか日刺しと言いますか、ピリピリと皮フが刺される。
「あ〜! もうどうにでもしてくれ〜っ!」
って日焼け止めとか帽子とか日傘とか、そういうのはどうでもよくなってしまった。

そしたらセミもヒックリ返ってたから
「だよね〜」
って土に返しておいた。



セミらはたいてい人工的な場所であられもない姿(死体)を晒しているので、見つけたらとりあえず土に乗せるのが私の夏の儀式。
その真意を深く考えたことはなかったけれど、小さい頃からのクセのようなものかもしれないし、なんというかお詫びのつもりなのかもしれない。
なんのお詫びだ。

 



ほぼ毎日、ドアを開けて猛暑を確認してはウケている。
この前、Twitter
「いっそのこと47度くらいにならないかな」
とつぶやいたけれど、これはけっこう本気である。

マジで50度近くなったら爆笑のしすぎで死ぬ可能性も高い。
そしたら新聞で「暑さで発狂」と報道されることもなくはないので、ここに記しておこう。
私は狂ってません。ただ、ウケてるだけ。




ある人のツイートが流れてきた。

RT @philokapnos: 又吉イエスが亡くなった。有名な「僕とイエスと掘っ立て小屋」、元サイトは削除されているが、Internet Archiveに保存されているので今でも読むことができる。これを読んで以降、僕は唯一神をただのキワモノと思えなくなった。
  「僕とイエスと掘っ立て小屋」 
web.archive.org/web/2004060315…




貴重な、アーカイブ
うつくしい文章。

又吉イエスが死んで、いよいよ平成の終わり…というか、もっというと昭和の本当の終わりを感じた。

昭和天皇崩御する数日前からの、極めて有事的トーンな日本にひどくコーフンしたけど、あれは、非常事態が大好物な私だけが感じた高揚感ではなかった気がする。

キー局はほとんど川の流れとヘンテコな音楽を延々と流して、テロップやら速報などで、天皇の病状を逐一知らせてきた。



川。
ウケるでしょ、川。
なんだったの、川。
 
 
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