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Weekly Teinou 蜂 WomanにUPした記事内テキスト抜粋Blog

早く言ってくれ


画像は2009年に紹介したmakiさんの「きょうのおべんとう」より

息子のオンが小さい頃から、お弁当づくりに執念を燃やしていた。
やる気のない時でも、少なくとも赤・黄・緑のお弁当三原色を入れることを自らに課してやってきた。
その必要がなくなった数年後、成人したオンから
「友達の茶色いお弁当がうらやましかった」
と言われたことがある。

寝込んだ。
いや、寝込んでないけどTwitterにそう書き込むほどのショーゲキだった。
飽きさせないお弁当を毎日作ることが、どれほどハードか経験者にはご理解いただけると思うが、走馬灯のように過去をさかのぼってクラクラしてしまった。

そのショックも覚めやらぬとき、魔がさしてホームベーカリーを購入した。
タイマーをかけ、毎朝出来立てのパンを出した数ヶ月後、いきなり
「売ってるほうがおいしいね」
ひとり言のように言われ、聞き返した私の声は、ほとんど絶叫に近いものだった。

おいしい。いやほんとおいしい。まずくはない。おいしいはずだ。
はたして本当の本当に絶品かととことん考えてみたが、デパ地下のパンとたいして変わらないという事実に気付いてしまった。
自覚したというべきところかもしれない。
手間ひまと、とりよせた小麦粉代で計算しても、自作のほうが安いというわけでもない。
大量の小麦粉(なんだかやたらメルヘンな名前がついていた)、食パンを均等にカットするグッズなどをまるっと残したまま、私はパン作りからとっとと足を洗った。
せいせいした。

ホームベーカリーは売ろうと思っていたけれど、お餅が作れることを知ったので保留にしたところ、今年になってまた耳を疑うような言葉が息子のクチから出た。
「なんかさ、買った餅の方がうまくね?」

もう私はショックを受けることも落ち込むこともない。
お餅はせいぜい3,4年のことだったし、年に1度の活動期間。
いい。べつにいい。
そうですよね、買いましょうね、来年から。
ありがとうございます。感謝の気持ちにもなった。



買っていたといえば、おせちである。
長いこと嫁ぎ先で大量のおせちを作りつづけてきた。
レシピも読んだ、本も買った。祖母や叔母(オカンは作らない)にも訊いて、約20段ほどを毎年三日がかりで作っていた。やたら来客が多いので作り置きできるおせちは重宝するのだ。

そこから開放された離婚後、おせちは毎年取り寄せている。
今年は店を変えたこともあって満足いく品がひとつもない。
故意に虚無の表情を作りムリヤリ食べた。
私はいったいなぜこんなにまずいものを食べているのか......いったいどういうことだ......と思いはじめ、こういうときはすべてがマイナスに運んでしまう。よせばいいのに原価を計算してしまった。

ばかばかしいにもほどがある!
買ったの自分だけど!
つい先日、アメ横でナマコ400円を買ったことも大きいかもしれない。

「もうおせちは買いません」
高らかに宣言をした。
今回は誰かの言葉がトリガーになったわけでもない。自分で判断して自ら決意したのだ。
なんだかうれしくなってしまったし、おせちを決める時のめんどくささからも解放されたようでちょっと舞い上がっていた。

アワビ・タコ・ナマコ・エビ・数の子......好きなものだけ買えばいいよね、ほかに何かいる?
と、一応息子に訊いた。

「おせちといえばコンニャクだよね、あれおいしかったよ」
......え。
お煮しめに入っているこんにゃくのことを言っているようだ。
そこ......?

過去における私の労力と時間とハートとかかった費用のすべてが否定された気持ちになってしまった。たかがコンニャクごときに敗北したのである。
自己満足と言われればそれまでだが、オンがいなければ私は手のかかるお弁当も作らないし、パンも焼かないしお餅だって作らない。おせちなんてばかばかしいものは作る(買う)こともなかったのだ。

「早く言ってくれよ......」
そう思って、同級生らにグチった。
「親の心子知らずだよねー」
と同意を求めると、
「いや、子の心親知らずなんじゃない?」
と返されてしまい、木っ端みじんになってしまった。

きっとオンは悪くない。
いや、まったく悪くないのだけど、来年のおせちは、お重三段にすべてこんにゃくを詰めることで己の長年の労をねぎらいたいと思う。