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Weekly Teinou 蜂 WomanにUPした記事内テキスト抜粋Blog

中島みゆきの「元気ですか」で元気がマイナス100になった




前々から行きたいと思っていた洋食屋さんに行った。
1階は、木でできた広めのカウンターのみで、私たちはそこに腰掛けて料理がくるのを待っていた。

壁際に座った私の真横に大判の絵がある。額からはみださんばかりの大男が、異様に細い目をして私を凝視していた。ハンプティ・ダンプティのようでもあるけれど、あきらかに卵ではないし、肩も胸もワキ腹も肉が垂れ下がっていて、そのことが誇らしいのか不敵な笑みを浮かべている。画風はたしかにジョン・テニエルと似ていたが、本人のものではなかった。

ほかに、親子なのか仕事仲間か年の離れた男性客が1組いたが、2人とも食べ終えたようだった。年配の男が大量の薬のシートをバッグから取りだして、空いた皿の横に広げはじめる。おそらく10錠くらいを一気に飲んだように見えた。住宅街の洋食屋は常連が多いと思っていたけれど、どこで会計をするのかわからないらしく、店員とのやりとりでどうやら初来店らしいことを知った。

それまで音楽がかかっていたのかどうか、今にして思えばまったく思い出すことができない。とにかくいきなり(のように)スピーカーから女の声が聞こえてきた。曲ではない。暗く沈んだ野太い声だった。
陰湿な女の独白。無言で傾聴してしまいすっかり内容を覚えてしまった。



誰これ……知ってる?
となりの友人の顔を見る。
知らない。

それまで、店員のアジア系外国人が対応してくれていたが、厨房から料理を運んできたのは恰幅のよいコックの男性で、彼をモデルのしたのかどうかと思うくらいに絵のハンプティ・ダンプティに似ている。背後からスッと突きだされたポークジンジャーといっしょに「どっち?」っと言われたので、「はい」と小さく肩くらいまで手を挙げた。

私はそれを、友人はハンバーグを互いに無言でクチにねじ込んだ。

地獄から聞こえてくるような女の低音はまだ響いていて、しかもどうやらこれはレコードのようで、ところどころで音が飛ぶ。私はそのたびに、なんだか恫喝されているような気分になってついつい箸をとめてしまう。


食べることに集中しようと思ったけれど、ちょっとこれはどうにも耐え切れない。内容が気になる。こわい。誰。なに。一般人? 食事の途中でスマホを手に取って歌詞を検索した。

「元気ですかと電話をかけました。あのひとのところへ電話をかけました。わかっているのにわかっているのに」

あっさりと『中島みゆき』が出てきた。
正体がわかればなんてことはない。このメジャーな歌姫の商業作品だったのだから、もう何も案ずることはないし、いいかげんこの長いイントロも曲にかわるころだ。よし、味わって食べよう。と思ったけれど、この私怨に終わりはなかった。いや、あるのだろうが、延々と続いていくように思えた。(全歌詞

コックの男がカウンターの向こう側にきて、壁に寄りかかりスマホを操作していた。よけいにお腹が出て見える。ひとつの、塊に見える。時々声を出して笑う。お客のことは一切注視しない。ハンプティ・ダンプティに似ている。私の横ではハンプティ・ダンプティが私を見ている。饒舌な友人が無言で食べきったハンバーグ。
醜行を独白する女の声。「わかっている あたし」「わかっている あの女」中島みゆきが演じている知らない誰かの声。それだけが【生】で、あとはみんな【静】だった。

女は今夜泣くことを宣言し、うらやましいと復唱する。
味なんかわかるはずがない。追っ手から逃げる犯罪者みたいに大急ぎで食べた。店を出るときはたしか歌にかわっていたような気もするけれど、もうなんか、そんなことどうでもよくないか?

私たちは店のドアを開け、ドアを閉め、やっと生まれて外気に触れた赤子とか、遭難から救出された登山初心者とか、あるいはなんだ…滝つぼに飛び込んだはいいけれど思うように水面に上がれず、もがいてもがいてやっと息ができたーーー! 助かったー! といった瞬間の大学生みたいに、生還した。



この恐怖のできごとは、きっと誰も悪くない。あらゆる負の因子が偶然に重なり、ここぞというタイミングで巨大な鬼胎を生み出したのだと思う。

強気に出た私は、うろたえていた自分を茶化すように流れていた言葉をマネして歩いた。

「元気ですかと電話をかけました……あのひとのところへ電話をかけました……うらやましくて うらやましくて うらやましくて…………今夜は…………泣くと………………………………おもいます……」

自分で言って自分でめっちゃ怖かったし、もうホント言わなければよかった。泣きたい。
友人は笑うこともなく早足ではるか先を歩いていて、とにかく少しでも早く、遠くへと離れたいようだった。

あらためて考えてみたら、最初の、「『元気ですか』と電話をかけました…」を耳にしたその瞬間、目に見えるものすべてに色がなくなって、中島みゆきに憑依した "いやな私" から見える世界になったのかもしれない。

さすが、中島みゆき
紅白で黒部ダムから生中継するだけのことはあるし、ひとつの失恋で100曲作ってしまうだけのことはある。ケタがハンパない。本当に恐れいった。これからも100曲でも1000曲でも作りつづけてほしい。だけど、朗読だけは、トートツに流すのだけは。


▼歌詞
「元気ですか」/中島みゆき - 全歌詞はこちらからどうぞ


▼動画(歌・というか独白というか)

「元気ですか」~怜子 中島みゆきさん作品 cover
Youtubeでのカバー、これが1番それっぽかったかも。
しかし、本物聴いてください……。
知らないで流れてきたら、マジ震撼するパワーあるので……。