毎日味を改革しつづける喫茶店





所用を済ませて喫茶店に入り、ナポリタンを注文。
「味、まかせてもらってい~い~?」
と、バツグンな笑顔でおじさんに言われた瞬間に気付いた。
しまった。
前も同じことを訊かれた。
その時は、ハテ……なんのことやら……と「はぁ…」と返事をしてしまったばっかりに、青じそを入れられ絶妙な(いや、微妙な)味になったあの店だ。

そもそもナポリタンなど、味はおまかせであたりまえではないのだろうか。むしろおまかせでないナポリタンを出す店がこの世にあるのか。
そこで私はきっぱりと「まかせられません」と心の中では言ったものの、クチではまたもや狐につままれたかのごとく「はぁ…」と生返事をしてしまったのだった。

なんというか、店主であろうおじさんの、有無を言わさぬリズミカルな「い~い~?」に異を唱える人類がこの世に存在するだろうかとさえ思う。否定しようもんなら心臓発作を起しかねない。ポプラの植木がそこらじゅうに置いてある出窓に飛びこむ可能性だってある。とことん落胆する姿が目に浮かぶのだ。
このテの、妙に明るい人種は豹変する。人助けだと思って私はとにかく言ってしまった。
「はぁ…」
厨房で、鼻歌を歌いださんばかりの軽快な動きで腕を振るっているのが見える。
「……。」

はたして出てきたものが、先ほどのナポリタンである。
なんだフツーじゃんに見えるこのオレンジ色の物体だが、まず、目がシバシバする。
理由はわからない。
そしてやたらめったら味が濃い。
これも理由はわからない。そんなにケチャップが大量だとも思えない。

とちゅうでアイスティーを運んできたとき、命拾いした店主は言った。
「どう? ワインと粉チーズ、たんまり入れといたからね~」
大変得意げである。サービス満点なのだから、満足なのだろう。

おやじよ、残念ながら私は生粋の下戸である。
とくにワインはだまし討ちが卑怯なのでほぼ天敵と言ってもいい。謳い文句がフルーティーなどといってスイートと見せかけてまったく甘くないというイカサマの筆頭であるうえに、古くなればなるほど驚愕の値段を叩きだすというペテン師である。そのうえ下戸にまでテイスティングなるものを強制し、揺らせ・見ろ・嗅げと無言で指揮命令するほどの曲者だ。この世から抹殺したい飲みものナンバーワンなのだ。

そのような恨み節を伝える術を持ち合わせておらず、私はすっかり落ち込んでしまった。
粉チーズなど入れたこともないのに、糸を引いているのはそういうわけだったのかとフォークで麺をつまんでは下ろすという愚行も重ね、自分を追いつめる。
ふた口食べては水、もうひとくち食べてはまた水……。こりゃとても完食できそうもないぞ……。と憂鬱を極めて途方にくれていた。

途中で老夫婦が来店し、ミックスサンドを頼んでいた。
なじみのようで店主との会話もくだけていたので、ここがナポリタン研究所であることはすでにご存知なのだろう。
よかったですね……。(ナポリタンじゃなくて……)
本気でそう思ったのかそうでもないのか自分でもわからないまま、意味不明な作り笑いを浮かべてまた現実であるナポリタンに目をやる。多い……。

「はいっ、病院食は味がうすいだろうから味を変えて濃くしておいたよー。もしダメだったら言ってね!」
ビックリしたというより目が覚めた。正気に戻った。
店主はなんと、高齢者の注文したミックスサンドまで味変をしていたのである。
さっきまでかけていたメガネを頭に乗せてまで(こうすると近眼かつ老眼の人は良く見える)、誠心誠意、心をこめて味を濃くしたようだ。

息を吹き返した私は腹を決め、あとはもう死に物狂いで食べるしかないと弄んでいたナポリタンに勝負をかけた。なぜ金を払ってまでオッサンの道楽につきあわなければならないのか、彼を悲しませないために死に物狂いで完食して、第二第三の被害者を生まなければならないのか、よくわからないがやりきった。

達成感で一杯になったところで、紅茶といっしょに食べようと思っていたバゲットが乗った皿を店主が「はい~どーもねー」と言いながらスリの手口で流れるように下げていった。引き止めるパワーは微塵も残っていない。完全に研究熱心なオッサンのペース、ワンマンショーである。

何人たりとも「否」と言えない雰囲気を作り出す笑顔に負けた。最後にはオッサンの1人舞台を拝見させていただいたような気分にまで到達していた。エセ宗教かネットワークビジネスでもやれば大富豪になれる逸材だ。

会計時、
「味変えたから100円引いとくね~」
と言ってまけてくれた。恩まで着せる完全なエンディングを迎え、うっかり私は「得をした」とまで思ってしまった。

きっと、そう思わなければやりきれなかったのだろう。