絵の神さまにとり憑かれてしまったふたり、生賴範義と葛飾北斎

「1:生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR」「2:北斎ジャポニズム展」の各感想と、同時期に二人の鬼才を観た者(私です)が感じた、「3:神さまを観て衝撃を受けても、好きなことはやろうね」などをつらつらと書きました。

Twitterとインスタで勢いで書いた支離滅裂だったものを、多少読めるように推敲したつもりですけど。ふわぁ……。


生頼範義(おおらい のりよし)、イラスト集では生賴、今回の展示会でもこちらの表記なので統一します。

1:生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR

生賴範義展に行く。
多作な画家・イラストレーターで、「ん? 誰?」と名前を知らない人でも、彼の絵を見たことがない人はいないはずだ。(平成生まれはそうでもないのかもしれないけど......)

どんな名作でも、100人中100人が "よい" と思うものはないだろうから、私はまず「行ったほうがいい」と書くことはないのだけど、今回初めて「行ってください」とお願いしたいと思う。理由はいくつかある。

小さい頃から、知らないうちに生賴範義の仕事に誘導されて、読んだり観たものが膨大だったと知ったこと。この発見の量は大きかった。「見たことある探し」としても楽しめる。よい作品に触れるのは、このような単純な理由でもぜんぜんいいと思っている。

次に、原画から受ける、あらゆる要素での気迫が度を超していたこと。
どんなジャンルのアートにも言えることだと思うけれど、それでも、生で観てわかったことが多すぎた。
過去の作品のすべてが、印刷によって人目に触れて終わったことを考えると、よけいに多くの人にこの機会に肉眼で原画を観てほしい。ストレートに言うと、「もったいない」という俗な気持ちだ。


自画像は3枚展示されていた

孤高と呼ばれ、不器用で愚直、腹の底にマグマのような熱いものを抱えた生賴範義が、全面的に全方向で男前だったので、それを伝えたい。イラストレーター界の高倉健というか、渋く、骨太である。この部分ではもっとミーハーな、アイドル推しのような気分でもある。もっと言えば容姿も大変好みだ。

とはいえ、1番の理由は、開催までの経緯が書かれた文章、それを転載したblog「アディクトジャーナル」を読んだこと。その熱量と、筆者の「先生の作品を後世に遺したい」という気持ちが憑依してしまったことが大きいと思う。

過去の仕事、作品について少し触れると、世界レベルでメジャーなものでは「スター・ウォーズ」「ゴジラ」「マッドマックス」の映画ポスターを手がけている。個人的には「グーニーズ」が好きで、「日本沈没」と「復活の日」では、小さかった私には映画の内容よりも絵のインパクトのほうがずっと強く残ってしまった。ほかにも新聞広告から書籍の装丁画、挿絵、雑誌、ゲーム(メタルギア信長の野望など)のパッケージ......と、その正確な数はおそらくご自身もご家族も把握しきれていないと思う。





オカンが読んでいた横溝正史小松左京(銀座で開催中の小松左京アート展キービジュアルも生賴先生作)の表紙が恐ろしかったことを思い出して、「うわっ…これっ!」と錆びた記憶の引き出しがギーッと開いたのも面白かった。ただ、愛読書だったシートン動物記の表紙も手がけていたそうなので、最初に手に取った作品はこれかもしれない。内容に夢中になりすぎていたせいか、表紙についてはほとんど記憶にないのだけれど。



全体を通して印象的だったのは、グリーンの奥深さ。チラシにもあるように、とくに宇宙やSF空間を描くときに多用されていると思う。本来なら明るい空の下の木々だったり、山深い森の中の深い湖に乗せるこの色が、未知へのあこがれ(クリアなグリーン)と底知れぬ恐怖(吸い込まれるような深いグリーン)を表現するのにピッタリな色だということを知った。

ファンタジーを、現存するかのようにリアリスティックに描く画力と、遠近法をぶった切っているにも関わらず、あくまで自然に観るものを圧倒する構図で、1枚の絵に映画の世界観をギュッと詰め込んでいるのにはあらためて驚いてしまった。印刷には反映されない(!)細密な筆到をじっくりと鑑賞できるのも、この展覧会しかない。


資生堂 Ag+ AD

目新しい作品だと、2007年の資生堂Ag+の広告がある。(展示については不明)初代ニオイ鑑定士と女性のイメージビジュアル。これは完全ソースがどこにもないと思ってTwitterで募ったところ、イズミトモキさんに公式ツイートを教えてもらった。

展示の目玉はオリジナル。仕事の傍ら、7年かけて描きあげた大作で、幻影とリアルが交差する生賴範義の世界だった。全体を通してみると絶妙なグラデーションになっている。センターが、絶望にも希望にも見えて、あまりにも強い願望と『怒り』は、根本的に同じ感情なのかもしれないと、やたら哲学的(そうでもないか)なことを思った。

凄まじく悲劇的な描写があって、その下にもっと無残な人間の業が描かれているのではないかと凝視してしまうような、釘付けられてしまう絵だった。


「破壊される人間」

なんだかつらつらと、繋がりのない文章を書いてしまったけれど、最後に、図録に転載されていた生賴範義本人による過去の文章(1980年)を載せておく。

鑑賞後のコーフンが後頭部あたりにジンジンと残ったまま、喫茶店で図録を開いて、とうとう堰を切ったように泣き震えてしまった。少し落ちついたときにiPhoneで撮ったものだ。絵を描く生業でなくても、文筆業で成功していたように思う。





画家ではないと言い聞かせるように、何度も何度も、自分は労働者と言いながら、「(自分の)手と眼に対する絶対信頼」という言葉がメチャクチャ重い。
こんなに小さくて力強い、崇高な矜持を、私は今まで読んだことがない。

教養・知性にあふれた文章は巷にあふれているけれど、それに加えて微動だにしない「強固な意志」を受けた。あとで、冷静になってから思ったのは、誰かを傷つけるようなテキストではないのに、本当に強いものを目にしたとき、こんなに痛みを感じるのか……ということだ。(絵を観たあとだから受けたもので、そうではない人にはなんのことやらさっぱりわからないと思う)

痛みは何も悲劇的なことだけではない。喜怒哀楽が沸点を超えたときに湧く感情は、じっさいに痛みも感じるし、深く刺さった刃物の傷と同じでいつまでも残っているものなのかもしれない。
……とはいえ、四つの感情のうちのどれですかと訊かれれば、今回はそこから選べるものではないのだけど。これは、行って観て、味わっていただければ、と思います。

生賴範義展 THE ILLUSTRATOR 特設ページ 2月4日まで

上野の森美術館 - 展示のご案内 - 生賴範義展

開催までの経緯を記したblog
奇跡の軌跡「生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR」in 上野の森美術館〈その1〉