人はみんなちがうので。カマドウマだってちがうので。

f:id:asobi:20180323013252j:plain

 
というか。
絶対ノルマのこの3冊を読み切って、とくに「すこし低い孤高 ラショウ・香山哲」の読了後は(私には何もない感)がスパークというかショートというかパンク、爆発した。ロボトミー後の無感情人間になることで、なんとか正気を保っていたものの、天才努力ウーマンこと乙幡ツイートにトドメを刺されてしまった。
ほとんど絶望に近い気持ちで機械みたいに歩いてからテキトーにきたバスに乗りこんで友達んちの前をスルーと通り過ぎるとき、バスは、片足を上げて上手におしっこをする犬みたいに水を撒き散らかしていた。いいぞーよくやった。
 
乙さんの、天才によくありがちなビョーキは置いといても、私のようなものはしばし静観し、気がすむならばムチャをして、壊れていくといいと思う。
 
井の中の蛙も悪いことばかりじゃない。人間はそれぞれちがう日に、時間に、場所に、環境に生まれる。財力によりこの世に生を受ける。そこが無差別であってはいけないなんてこともないし、なので、なので人なんて、誕生した瞬間から差別はしっかり存在する。不公平と言おうと思えば言えるけど、きっと悪いことじゃないんだろう。
 
じいちゃんは「海の外を見ておけ、そこへ行って、日本を見てみぃ」と言ったけれど、大切な腕時計を帽子の中に隠し、大海を泳いで帰還したじいちゃんに私はなれない。島根の門前みたいに、何年も何年も変わらない小さな町のどこかで、カマドウマみたいにトイレでひっくり返ったまま息をひきとるのも悪くない。孫は近くにいないだろう。近所の従姉妹か、その子供たちが見つけてくれるといいんだけど。つまり、人はみんなちがうので、それはそれでしかたのないことなので。