ひがんでるうちは大丈夫という理屈とヘ理屈

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イチャついてるカップルを見て歩道橋から落ちろ! と思ったり、パリピー眺めてスズメバチの集団に襲われますように…と願ったり。こういう"ひがみ"の感情を持っているうちはまだ大丈夫なんじゃないだろうか。


黒い布を頭からかぶせられたような暗黒にいた数年間、私はどんな人を見ても悲しくなった。

押し車を押して横断歩道を渡る老人を見ては、
「ああ、死にたいだろうに死ねないんだろうな、気の毒だなあ……」
と思ったり、小さな手を繋いで列になって歩く幼児たちを見たら
「これから先、どんなに長い地獄を生きていくんだろう」
と勝手に心配したり、喫茶店で熱心にゲームに興じてる若者がいれば
「居場所がないんだろうなあ……親から見離されて、寝るところもないのかも…」
と勝手に胸を痛めて涙していた。
ぼんやりと覚えているのはこういう感情(情景)だけで、ひがんだりうらやんだりの記憶が一切ない。今にして思えば、"見ない"ようにしてきたんじゃないかと思う。

認知バイアスの中でも、歪んだ確証バイアスなんだろうか。自分に他者の不幸を喜ぶようなシャーデンフロイデがあるとは思ってはいないけれど、もしかしたら「この世は悲しい」ことにして、類似性を保ちながらなんとか自分を守っていたのかもしれない。

なので、他人を見てひがんでる人、大丈夫です。まだまだ大丈夫。



なぜこんなことを思い出したかと言うと、さっき、カーラーを頭に巻いたままコンビニに行きそうになったから。すんでのところで気付いて階段の途中で外したけれど、あのまま外に出ていたら完全にカーラーババアだし、そのうえ今日はキチガイ色として我が母校で有名な真っ赤なスカートを履いてきており、これ第三者から見たらカーラーどころか完全にヤバい人じゃないか……同情されるレベルだぞ……? ということに気付いて、そういえば同情ばかりしていたなという……。

さまざまなことがトリガーになって、ちょっとしたことを思い出しては現在の平穏な日々を噛みしめております。物理的に決して平穏じゃないんだけど、気持ちが平穏ならすべてオッケーなので。
そういうとこだぞ?