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Weekly Teinou 蜂 WomanにUPした記事内テキスト抜粋Blog

【そ】掃除好きの母親に生まれた子は……

【そ】掃除
despicablealexis:Our creation by muriloVM 


 わたしは掃除がきらいだ。日課としてホコリをとったり、脱いだものを洗濯カゴに入れたりということはできるのだが、定期的に窓を拭く、バスルームを念入りに洗う、さらに言えば、身体をていねいに洗うことさえごく稀だ。
 きちんと掃除をすることが、ひどく苦手である。
「でもいつも片付いているじゃない」
と言われることもたまにはあるけれど、それは忍法的に言えば目くらましにすぎない。引き出しや押し入れの中は荒れ放題。メイクをして、たとえいい服を着ていても、お風呂がキライ。それと同じで中身がグチャグチャなことは、よほど親しい人でないと気付かないのだろう。残念ながら、わたしの頭がからっぽだということも、このことに比例している気がする。 
 だからというわけではないだろうが、汚い部屋がすきだ。いわゆる汚部屋に行くと、安心して長居してしまう。もうわたしの場所〜と、するっと入り込める。ああこれが、人間という生き物の住処だなーと思う。

 考えてみれば、本気で好きになってつきあった男子の部屋は一様に汚かった。足の踏み場はベッドの上だけ、という、いかにも発展しやすいシチュエーションが多かった。あまりにもキレイな部屋に住んでいる男の子にどうしても耐えられなくなって、それを理由に別れたことさえある。
 汚い部屋の持ち主は、細かいことを気にしないだろうし、裏表のない性質のような気もする。わたしは他人に対し、正面からぶつかっていく性格だったから、このほうが気が楽、ということなんだろう。 

 わたしはオトンの血を引いてるのだろうか。彼の部屋は雑然としている。ベッドとテーブルの間には何冊もの本が乱雑に積まれていて、そこには5つくらいの枕と複数の老眼鏡が落ちている。買物だけしてスーパーの袋から出してもいない謎の商品もたくさんある。そのうえに醤油やソースなどがこぼれて染み付いていることもあるそうだが、そんなオトンにオカンは降参している。あのオカンが! あきらめることで、精神の安定をはかっているのだという。長年の知恵、生きるための術なんだろう。 


(via Science World: Tissue | Ads of the World™)

 わたしの場合、オカンの反面教師ということもあるかもしれない。今はかなり緩和されたものの、以前は雑巾を一日中手放さなかったオカン。キレイ好きは度を超していた。
 玄関はいつも拭いていたから、土足であがってはいけなかった。玄関なのに、土禁なのである。ゴミ箱にゴミを捨ててもいけないという意味不明なルールもあった。裏庭の大きなゴミ箱に捨てろと言う。わけがわからない。帰れば玄関の外でクツを脱ぎ、ゲタ箱に入れ、くつ下を脱いで大急ぎでバスルームで足を洗うことを義務づけられていた。キツネと狸のだまし合いのように、わたしは大げさにシャワーの音をだし、洗ったフリまでしてでてくるのだが、そこにまたバスマットで足を拭いてはいけないという難関がある。風呂場でキレイに拭いてから、バスマットにのるように義務づけられていた。生活雑貨たちの利用されない心情を思うといたたまれない。なんのために生まれてきたんだろう。そう哲学することはなかったか。  いたたまれないのは彼ら雑貨だけではない。元来おおざっぱなわたしは生きた心地がせず、家に帰るのが嫌でしかたなかった。落ち着かないのだ。家なのに! あのころのオカンは半分狂人だったのだろう。子どもにとっては大変な迷惑である。おかげで一歩外に出れば、わたしの天下だ。外出ばかりして、家には寝に帰るだけ、というクセがついてしまった。

 こうして挙げてみると、わたしの汚いもの好きは、やはりオカンを警戒しすぎた影響が強いのではないかと思う。駐車場のコンクリの上で寝ることも平気だし、浮浪者と一緒にごはんを共にしたことも一度や二度ではない。服の袖口に食べ物の汁がついてもそのままにしてしまうし、手を洗えば着ている服かポケットの中で拭いてしまう。男についての好みも、「寝ぐせ」を1番にあげることから、やはり汚らしい人が好みなのだろう。なにしろダウンジャケットの敗れた箇所に、ガムテープを貼ってきた男に一目惚れして運命の人だわ!っと飛びついたくらいだ。

 えーとなんだっけ、そう、掃除。こんなに掃除がきらいで、掃除機をかけることはめったにないというのに、4年の間に4台も買い替えてしまった。1年に1台の計算だ。吸引力が見事になくなってしまって、それでもついコードレスに手が出てしまう。これはあれか?あまりにもゴミが強力すぎるからか?そもそもゴミに強弱があるのかないのか知らないが、溜め込むとえらいことになる、ということだけはなんとなくわかった。  こんなわたしだが、年末の大掃除だけは欠かしたことがない。
「今年こそはやめよーかな〜」
と思いつつ、けっきょくは数日かけてやっている。あの行事がなければ、うちの台所や窓やお風呂場、トイレなど、どうなっちゃうかわかったもんじゃない。幸いオンが、大掃除をなんらかの呪いと思っているらしく、「やらないと来年不幸になる」ということを信じ切っているようで、大変重宝している。
 そしてきれい好きなオカンはというと
「一年中きれいだからやる必要はないの」
とのこと。
 それでいい。それがいいと思う。小学校のころは紅白やゆく年くる年の放送中は音が流れているだけで観ることができなかった。年が明けても朝方まで模様替えや掃除をしていたのである。掃除に終わり掃除に始まる。そんな年越し死んでももういやだ。   大人になってよかったなんてぜんぜん思わないけれど、眠たい目をこすりながら、いつまでも掃除を手伝わされたあの時代を思うと、今は天国だ。


本日のオススメ本ですね。 フツーの人のフツーの部屋を覗き見て妄想するたのしさ。住民不在。

 こちらのコラムは本家ハチの転載になります。
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