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Weekly Teinou 蜂 WomanにUPした記事内テキスト抜粋Blog

子育ては三種の神器(ルンバ・衣類乾燥機・食洗機)がマストと喧伝する小さな罪   


「共働き子育てには、三種の神器(ルンバ・衣類乾燥機・食洗機)がマストアイテム! シッターも便利に使って、たまにはハウスキーパーにおまかせしましょう!」
というツイートが、たまにすごい数で拡散されている。
リツイートは否定の意味もあったりもするけれど、これに限ってはほぼ100パー賛同の意味でまちがいないだろう。

私はそれを目にするたびに、ひとり親家族やアパート一間を余儀なくされてる親がみたらつらいなコレとか思ってしまう。

オカンがめずらしく小学校のPTAで一悶着起こしたことがあった。

「修学旅行の積立金は一括で支払うことにしましょう」
という提案者らとモメたのだった。なかには滞納者もいてその催促が大変だという理由だったらしい。
ほとんどの役員が賛同する中、オカンは頑なに反対した。
これは、人に好かれたい一心で、対外的には自分の意見をすぐに曲げてしまう外面がいいオカンにしてはめずらしいことだった。

今はどうだか知らないが、私たちの住んでいた地域(あるいは時代)は貧富の差がわりと顕著だった。
富裕層は家が迷路のような豪邸もあったし、夜会のようなロングドレスやネクタイを締めてスーツを着てくるような小学生もいた。反面、貧困層は小学生高学年で新聞配達をしているような家庭もあった。
幸いだったのは、私の知る限り、ドレスやスーツもお古の服を着た子供たちも、傲慢にも卑屈にもならずに自分の状況を受け入れて、ただ「気が合うか合わないか」で遊んでいたことだ。



子供や若年層から学ぶことがたくさんあると私がいつも思うのはこういうところだ。
まだ私たち子供は親からの(悪い意味での)情報を体内に注入することなく過ごせていた時期で、資産・家柄・所有物・家庭環境などで友達を選択するなんてバカげたマネはけしてしなかったし、そもそも考えも及ばない。
性善説ではないけれど、これがきっと人の原点で、差別をはじめるとしたらそれは身近なものからの「情報」がそうさせてしまう。

で、件の修学旅行積立金の話に戻る。
よほど悔しかったのだろう、この流れはその後オカンからなんども聞かされることになるのですっかり把握してしまった。

子供が働いている家だってある。当時はめずらしかった母子家庭もあるのだとオカンが説得を試みたら、そういう家庭は充分な生活保護をもらっているから実際は不自由していないし、払えないはずはないと反論され、その時点では一括払いが決定したらしい。(その後覆されたような気もする)

うちはたぶん、一括払いが難しい収入ではなかったはずだが、他人の生活状況を考慮する人がほとんどいないことにオカンは憤っていた。
帰宅後もオカンの激昂は収まらず、興奮のあまり震えながら泣いていたのを思い出す。
その怒りの原点がまだ理解できる年齢ではなかったけれど、こりゃ今なにかしでかして刺激したら大変なことになるぞ…とやたら身の安全だけを考えた記憶が鮮明にある。

一括払いの提案者は友人の母親で、家に行けばやたらお菓子をくれるやさしいおばちゃんだった。だが彼女もまた「三種の神器はマストです」と断言する類の人なんだろうと今なら思う。きっと悪気はない。だが、無知は罪という言葉を、今こそ使いたい。



また、これは成人してからの話だが、クルーザーを成人の祝いにもらうようなボンボンの男友達がいる。彼が、
「僕ら金持ちも貧乏人も、時間だけは平等だからねえ……」
と言ったことがある。
その時、
「はあ? 何言っちゃってんの? 」
と、飛行機と青春18切符、タクシーやチャリの話をして「貴様はアホか」と反論したけれど、それはまた別の話なので割愛する。

この内容は気に入らなかったけれど、彼が「金持ちと貧乏人」とキッパリ分けたことが、ふだんの発言もふまえてではあるが私はうれしかった。
『貧乏人』という言葉から、差別的な要素を感じとれるかもしれないけれど、彼にそういった意識がないのは明白だ。(だって私と友達ということからもわかるだろう)
言葉は悪いかもしれない。けれど、それは差別ではなく事実だ。彼はちゃんと、そういう暮らしがある、つつましく生活している人たちがいるという事実をちゃんと知っている。
三種の神器、マストじゃん?」
とは言わないということだ。

先述のマストアイテム主張ツイート主も、一括払いの友達のかあちゃんも、もちろん人を蔑んでいるつもりは毛頭ないだろう。わかる。

けれど少なくとも、「(三種の神器)あたりまえ」という風評にならない世間を私は希望しているし、自分の環境しかわからない、わかろうとしない人間に、たとえば政治家や教師になどなってもらったらマジでヤバくないですか? と私はつくづく思うのだ。