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Weekly Teinou 蜂 WomanにUPした記事内テキスト抜粋Blog

「絶望」。ちょっと待って。



「一度メンタルぶっ壊してしまったら、立ち直っても昔の自分には戻れない」という旨のツイートがたくさんの賛同を得ていたので、「ちょっと待ったーーーーー!」と言いたくなってしまった。

言いたくなったけれど、この説を否定するつもりはないし、もちろん赤の他人にちょっとタンマをするつもりもない。

ただ、そういう方もいますでしょうが、そうでないケースもありますよね、と言いたい。今、絶賛絶望中の人たちに言いたい。

戻れない人もいれば、完全復活する人もいるし、さらにパワーアップする人もいる。そして、立ち直る前にこの世からあっさり消える人もいたりと諸々一概にぜったいとは言い切れない。これは元来の性格にもよるものかもしれないし、物理的なナニか、かもしれないけれど、絶対的にオール戻れないわけではないです。

ソースは私ですので。

もちろん個人差はあると思うけど、私の場合は丸3年間ダーク沼にいた。
・最初は底なし沼からあがきもがいて
・そのうち生活を地獄と称しては、ここから脱するためのただひとつの方法(死)に支配され
・最後は気持ちを「無」にしてただ息をしているだけの物体になれば楽になるかもしれないと試みるも失敗しつつかろうじて歩く。
鉛のような足を一歩ずつ、右足…左足…ここで一呼吸。比喩ではなくこうして歩み進めては疲弊することを積み重ねた生活は、皆さんよくご存知の「生きる」ってことだったんだと思う。ある日突然理由もなく霧が晴れたのはラッキーだった。



あらゆる関係書籍をかたっぱしから読んで、実践しつつも途中で挫折。病院を転々として薬にも詳しくなった。それらが役だったかどうかといえば怪しいけれど、まったくすべてが役立たずだったかといえばそうとは言い切れないというかわからない。

ただ、理由は何にせよ「メンタルの破壊」(あるいは何かがトリガーとなった病気といってもいいかもしれない)、この体験がよかったかよくないかといえば、身内や友達にはぜったいにこんな経験をさせたくないという点でよくないと思う。できることなら無傷で一生を終えたほうがいい。

でもですね、あんなに強靭な精神と能天気な性分を自負していた私でさえ損壊したのだ。どんな人でもなりうる。なったからといって完全絶望しないでほしい。

いや、真っ最中は絶望的だ。そりゃもうすべてが、なにもかも、そこらへんを歩いてる人たちも、遠足中の子供たちも、カートを押す老人も、目に見えるすべて、想像するぜんぶが絶望以外の何者でもなくなる。けれどもとりあえず息さえしていれば、絶望を脱する、つまり、一抹の希望がでてくる可能性はゼロではない。
もちろんこれから先、這々の体で何年生きていたところで、死ぬその瞬間までなにひとつ変わらないかもしれない。けれども希望がでてくる可能性はゼロではない。今ここで死んだらゼロだけど、死ななければゼロじゃないよね? わかるかな。わかるよね? ゼロじゃないよね? って言いたい。

まぁ死にたければ死んでもいいと思う。それは悪ではないし、悪とか罪とか決めたのって、あとに残されたものの勝手なご都合だしそんなものに縛られることはないけれど、罪悪とまで言ってよく引き止めてくれましたな、ありがとうご都合主義ども、とも思えます。

死なない方が可能性はあるので。ゼロではないので。自己嫌悪がピークに達したあとだって、また「うわ〜自分ラブい〜」と自己愛に満ちたラブライフを送ることができますので。たぶん、だいじょうぶ。だいじょうぶなんで。だいじょうぶです。