【せ】正論について「男の人はみんな股間から見るでしょう!」
息子のオンが、朝から晩まで読書にハマり、やたらと理屈をこねくりだした時期があった。オカンはクソまじめなので、まともに対抗し、毎回言い負かされてくやしがっていた。わたしはというと肯定も否定もするでもなく、いつもニヤけながら聞いていたと思う。
彼の話はまったく的を射ていない場合が多い。いわゆる「屁理屈」だ。楽しい。
わたしはわけのわからない、自分では考えも及ばない話を聞くのが好きだ。オンに限ったことではない。想像をはるかに超える考え、ジョーシキからかけ離れた思想、ちょっと狂った主張を見聞きすることはコーフンする。
ああ、そういう人もいるんだあ……。と、つくづく感心する。浮世離れしていればしてるほどいい。人間の可能性を見た気になる。
ズレた考えの持ち主は、たいていが確信に満ちている。自信にあふれている。確固たる意志は、潔くて気持ちがよい。一般には受け入れられそうもない主義を貫いている人は、どんな曲がったものであっても、崇高に見えるときがある。
よほど非道な意見でないかぎり、自分とちがうからといって反論する気にはまったくなれない。(彼氏やダンナの場合は反論することもあるが)人は顔もちがう。肌の色もちがう。陰毛の濃さもちがうのだから思うこともちがって当然だ。それを自分と同意してもらおうなんて必死になるコトなどそもそも理不尽だと思う。論破してやろうなどという時間などムダ毛の極みだ。
これは、おそらくわたしが小学校のときからはじまったものだと思う。ホームルームの時間に、いつもわたしは1人だけちがう意見を言ったり突飛な提案をして、多数決により全員一致で却下されていた。親友でさえ失笑しながら『反対』の挙手をするのであった。わたしがこのように、人の意見をおもしろがるクセがついたのは、あのときから培ってきた自己防衛なのかもしれない。
何度も書いているが、へんてこな思考として、わたしは以下を筆頭にあげたい。
「トイレに行く」と恥ずかしいことを言うくらいならその場で漏らした方がマシ、と言って、車中で平然と漏らした男友だちのエピソードだ。クライアントのお偉いさんと車に乗っていたときのことだと言う。彼はこの話を、しごく当然のように真顔で話すのだった。これは彼の『正論』であり、異論を寄せつけない破壊力もあった。
元ダンナも少しばかり異星人的発想をしていて、わたしを嫁にするとき、オトンに
「一生しあわせにするなんてことはわからないので言えない」
と言ったそうだ。その通りになった。『正論』である。また、こんなことも言っていた。オトンが
「キミの将来の夢は?」
と聞いたとき、
「んーーーわかんないっすねえ......強いて言えばルパン三世ですかねえ」
このDNAを見事に受け継いでいるのがほかでもない、息子のオンである。
破壊力といえば、くされ縁のコレステロール伊藤ちゃんも負けてはいない。代表格は、男の第一印象をどこで決めるかという話題になったときのことだろう。
「男のことはみんな股間から見るでしょう!」
と、彼女は平然と言い放った。商店街ですれちがった男性を、片っ端からズボンの上から透視するんだと言っていた。あの時の彼女はすごかった。
「え?みんなそうじゃないの?ちがうの?じゃあどこから見るの?」
『正しい』という字はキライだが、個人独特の『正論』は、そこはかとなく愉快だ。
本日のオススメ本ですね
伊集院というよりも、阿佐田哲也こと色川武大が好きなので。
こちらのコラムは本家ハチの転載になります。
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【し】シラスとの戦い
本日のお題は【し】
ストレートに『死』しか浮かばなかったのだが、これはもう慎重に取り扱わなければならない。立ち入り禁止区域だ。
わたしにとってはもっとも縁遠い、カンケーないね!と思われていた『死』との距離が縮まった今、書き進めればコンランして支離滅裂になりそうな気がする。他人事だったら躊躇なく、ヘラヘラと書けるんだろう。
『死』は、ご存知のようにとてもヘビーな響きがある一方で、ギャグにもなりうる字。こんなにフリ幅の広い文字は、ほかにないのではなかろーか。
元気のカタマリのような人が、『死』とデカデカと書かれているプラカードを持って信号待ちしていたらウケる。トライアスロンをやってるような体型の人が、チャリで爆走しながら『死』Tシャツを着ていたら、
「ワッ!なにアレ!死に急いでる!」
とニヤけてしまう。距離があればあるほど、インパクトがあり笑いもとれる。そんな不思議な字です。死。これってわたしが不謹慎だからなんだろうか……。
あかの他人のお葬式で高笑いしていたらひんしゅくを買うが、もっとも身近な人の死で笑っていれば、気丈にふるまっていると言われる可能性はたかい。べつにそう言われたいワケではぜんぜんないし、いやむしろ冷めた目で見られるのは歓迎だが、わたしは両親が死んだら大いにふざけよう、とことんバカになろう、とにかくがんばるぞー!と、今から気合をいれている。
で、死については「死にたい人は、死ねばいい」そういうふうに思ってます。思っていますね、わたしは。
つーかここからが本題。実は「死」ではなくて「シラス」をお題にしたんだった。そのワリには長い序章だったが、「死」以外の言葉を探すのにどういうわけか苦慮した。最近、人生2度目の「シラスこわい病」にかかったことを思い出し、あそーだ、シラスだ、とココロの決定ボタンを押した次第です。
小学校1、2年だったと思う。ごはんに乗せていた「シラス」といきなり目が合った。一度気付いたらもう止まらなかった。おびただしい数のシラスのほとんどが、わたしを見ている! そう思った。にらみを利かせるでもなく、ただただ呆然と、アホみたいにシラスたちがこっちを見ているのだった。
「シラスがみんなこっち見てるよー。こわいっ!こわくて食べられないー。ママー!ぜんぶどけて〜!」
当時のオカンの性格上、間髪入れずに激高されたはずだがまったく覚えていない。わたしはオカン発狂の記憶が抹消されるほどの恐怖をシラスに味わったのだ。いや食べてない。ただただその怖さにおののき大量の死体を食べることを全力で拒否した。
それからは幸い発病することなくおいしくシラスをいただいていたはずだが、つい最近、いきなりこの「シラスこわい病」が再発。
あ、こいつ、わたし見てる......。からはじまって、当時を思い出した。
わたしはもう大人だ。より観察力も磨きがかかってしまった。まず、瞳孔はみな開きっぱなし。あたりまえだが目を閉じてるシラスは一匹たりともいない。よく見ればアッチの方を向いているものもいるにはいるが、ほとんどのシラスがやはりわたしを見ていた。なにかをあきらめきったように、うらめしい眼でじっと凝視していた。これでもか、とクネらせているカラダは死の瞬間にあえぎ苦しんだことを全身でわたしに伝えようとしているではないか。
キョエーーー!
ウギャアーー!
ギョエーーー!
アチーー!
阿鼻叫喚である。やっぱり恐ろしかった。
でも見てんの、こっちを。このうすら寒い、なにもかも放棄したような目がいっせいにわたしを見ているのだ。怖くないはずがない。この地獄絵図そのものを、わたしは食べるのか。
食べたねー。大人だからねー。もったいないからねー。
しかし一度試してほしい。いったんヤツらの目を意識しだすと、「シラス」が「死体」になってしまうことを、得体のしれないあの恐怖を、体感してほしい。
そしてわたしは死体の山を食べた。しょうゆをかけて、花かつおといっしょに、一匹たりとも逃しちゃならんと、ひとつ残らず。
今日のオススメ本ですね
【さ】甘けりゃいいってもんじゃあないんです
わたしの砂糖好きは、幼稚園のころからはじまっていた。
朝食はいつも目玉焼きとサラダ、トースト、果物。そしてリプトンティーパックの紅茶。その紅茶に、砂糖をドバドバ好き放題いれていたことをよく覚えている。小学校のころは、オカンに隠れて砂糖を食べていて見つかるたびに発狂されていた。上白糖しか家になかったから、友だちの家で角砂糖を出されたときには、この世にこんなおいしい食べ物があったなんて!と感動したものだ。茶色い砂糖(三温糖)を見たときもコーフンして、「そんなによろこぶのなら......」と、おばちゃんが袋をそのままわたしにくれたことがあった。よほど気の毒な子だと思ったのだろうか。
誕生日や送別会に、砂糖詰め合わせをもらったこともある。それくらいわたしの砂糖好きは周知されていた。
砂糖消費量は、1週間で1kg。喫茶店でコーヒーや紅茶を頼むとき、同行者はうれしそうに「砂糖、多めにください」と言ってくれる。アイスコーヒーは、4分の1くらいシロップが沈殿する。濃度が高ければ高いほど、ボーダーラインがくっきりと分かれる。実にうっとりする。はじめて見た人の多くはおどろいて写真を撮るのだが、そんなことされるからわたしのサービス精神は助長され、ますます摂取量が多くなるのだった。
こどもが小さいころ、毎日のように子の友だちがうちに来ていたが、やつらはわたしの仕事机にあるコーヒー牛乳の甘さを知っていた。そしてわたしが目を離したスキに盗み飲みするのだ。おかげでどんどんエスカレートし、家でも甘い飲み物を欲するようになる。あげくのはて虫歯になる。近所のおかーさん連中からは、オン(息子)ママのせいでうちの子は虫歯になった、と散々言われたものだ。知らんがな。
過去、半年か1年くらい砂糖の量がゲキテキに減ったことがある。同僚がこれ以上ないほどご熱心にわたしを監視したためだ。彼女はエスパーだった。見つからないように背後で、そーっとスティックシュガーを破いても、なぜかガキッ!と振り向いて、「今3本目でしょ!ダメッ!」とピシャリ。わたしはそのしつこさとただならぬ勘の鋭さに白旗をあげ、とうとう事務所でコーヒーや紅茶の類いを飲むのをやめてしまったのだ。
で、この砂糖好きは親子三代に受け継がれたものだ。
オカン、ばあちゃん、わたしで喫茶店に行くと、シュガーポットの中身がほとんどなくなってしまう。そしてばあちゃんはオカンに「砂糖摂りすぎじゃーね、ちーとは減らしんさい」と苦言を呈する。オカンはオカンでわたしに「カラダ壊すよ、減らしなさい」と言う。わたしは文句リレーをする相手がいないので、ケッ!と思いながら無言で砂糖をじゃんじゃん入れる。それでもばあちゃんは94で天寿を全うした。砂糖で死ぬことはない、そう思っているし、あんなに甘いもので死ねるのならそれはそれでいーんじゃないかなー。
ちなみに黒砂糖はきらいです。チョコはもーっときらいなの。かんちがいしてる人が多いので言っておきます。よろしくおねがいします。
本日のオススメ本ですね
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【こ】こどもという生き物
事務所にて、『浮浪者みたいで見るに堪えないので髪を洗え』と指令が出たので、給湯室で洗ってきました。しかし髪をタオルで巻いてる姿こそ、見るに堪えないのではないでしょうか。しかもこのタオル、半雑巾。土屋遊です。このまま喫煙場に行って、ビル全体の喫煙者たちを仰天させたいと思います。
さて、今日のお題は【こ】。
私は子供(とくに小学生)が面白い生き物だと思っているので今日は『子供』でいきます。
一番好物の年代は8~9才くらい。小学生で言うところの3年、4年生くらいです。だってあの子たち総体的にバカで自由でしょう?いいよねーバカ。バカさいこーですよね。『うんこ!』って言っただけで腹を抱えて大爆笑してくれるんですよ。
いつまでも少女のようだと言われると、ギョッとしてゲッーとしますが、少年のようだと言われるとキュンとします。私はいつまでも少年のようでいたい。つかいたかった。いつのまにかうす汚れた大人になってしまいました。今、半雑巾頭に巻いてるしね。でもね、ついこの前までは、の、ようであったと思います。だから、昨日ツイッターにも書きましたが、私の理想の女性は2年半以前の私自身。自由で、奔放で、何事もどーでもよくってウンコで爆笑できた土屋遊なのです。
昔、ぬいぐるみ作家のせこなおさんに、私のボンクラポエム本『ボン!キュン!ボーン』の感想をもらった時はものすごくうれしかった。
>小さな男の子が泣くのを堪えて強がり言ってるような雰囲気があって、切なくて愛らしい
ほーら、私は少年も好きなら強がりも好き。なんという観察力。なんという感受性。
ところでイカタコ本はまだまだあります。販売促進に勤しんでおりますが、いずれ落ち着いたら小学3,4年生を題材にしたコラム集なんかを編集・出版したいと思ってますのでよろしくお願いします。
さて。
幸いなことに、私は男の子を授かりました。父親もいつまでたってもガキのような大人です。母としては失格かもしれません。かもじゃなくて失格です。でも、子育ての楽しさったらハンパなかった。毎日毎日朝から晩まで遊びました。毎日キラキラ、本当にキラキラしていました。今思い出す時、まぶしくって目が潰れちゃうんじゃないかと思うくらいです。
彼のおかげで色んな事を学んで、たくさんのことをさせてもらって、泣いた日も叱った日もありましたが、それ以上に大いに笑わせてもらいました。おかしくってかわいくって大好きなのです。
さっき私は私自身が理想と書きましたが、かといって誇れるものはとくにありません。
唯一息子のオンだけが、あの、飄々とした生き物だけが、私の誇りそのものなのです。いや、埃じゃなくって。
寝グセ
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【う】といえば?
本日は『う』。
小学校以降は大した事件はなかった。
ただ、書店に足を運んだ際に突如こみあげる便意を『青木まり子現象』というように、私もまたネットを巡回していて、更新意欲の湧くいいネタを発見するとこみあげてくるものがあるのだ。いや、現実にはこみ下がるのか。この便意で判断する場合もさえある。
私は物欲というモノがほとんどないので、書店でも大型スーパーでもそういった現象はまず起こらないのだが、音楽好きはレコード店で、ファッション好きは洋品店で勃発するという。
息子のオンは、スーパーのお菓子売り場で必ずもらしていた。私はお菓子売り場という夢いっぱいの食べ物の前にポロリと落とされた小さな便を拾い、怒ることもせずオンをわきに抱えて一目散で車に戻ったものだった。ああ、『青木まり子現象』だ……と思いながら。
うんこはなぜ忌み嫌われ下品とされるのだろう。宇宙人でもない限り、誰だって排出されるものなのに、なぜうんこを挙げ奉る『うんこ教』がないのだろうと考える時がある。いや、ない。今思いついただけだ。理由はすぐに分かった。臭いからだな。うんこが人を惹きつけ陶酔させる匂いを持ち合わせていたら、この世の中も変わっていたかもしれない。
【む】夢遊病 なにもかも夢遊病のしわざと思えばいいんじゃないかな~っと
同級生のKくんは、受験のストレスで夢遊病(睡眠時遊行症)になりました。ええ、電車の中でバッタリ会うと、車両中に響きわたる大声であいさつするあのKくんです。
かつては夜な夜な小さな町を徘徊していたようですから、ともに教員をなさっていたご両親もさぞかし心配されたことでしょう。わたしとしては勝手ながら、立派な夢遊病者の権威としてご活躍されることを希望しておりましたが、その後は東大を首席で卒業し、日銀に就職したのち、今では立派に早稲田の名物教授としてフル活動しています。
弟も、やや夢遊病のケがありました。
夜中に起きて、部屋のすみで立ち小便をしている決定的瞬間を何度か見かけています。止めもせずに爆笑していたので、そのたびにオカンに発狂されました。今気づいたのですが、ここはちょっと発狂相手をまちがってはいやしませんか……。
わたしはというと(発覚したのは)一度だけ、部屋から出てきて冷蔵庫を開き、「魚を焼く」と言ってたくあんをガスレンジで焼いたことがあるとのこと。オカンが止めても「いいの、魚焼いてんの」と言い続けていたそうです。覚えてはいないのですが、オカンがその時の様子を詳細になんども話すので、自分でも「やった」こととして記憶に残ってしまいました。
夢遊病ではないけれども、朝は苦手なため、ほとんど夢の中のような心地で毎朝ごはんを作っていました。今は紅茶を淹れてパンを焼き、ヨーグルトだけ食べているので失敗は少ないですね。ただ、チャック全開はもちろんのこと、ズボンをはかずにコートを羽織って外出してしまったり、セーターを逆さまに着るなどは日常茶飯です。まあこれは、寝起きでない正常値でも多々ありますので、正常値というか、むしろ日常が異常値なのかもしれません。
そういえば、オトンは夜中に何度もキッチンに立って何やら作って食べているのに少食だと言ったり、正体不明の壺を何個も買ってきては家や職場に置いているのにも関わらず「金は一切使ってない」と言います。オカンはオカンでトイレまで追いかけてくるほどひっきりなしにしゃべっているのに「わたしは無口で有名」と言い張ります。もしかしてあれも一種の夢遊病なのでしょうか。我ら夢遊病一家なのでしょうか。だとしたらいろいろと合点がいくなあ……と他人事のように思いました。そうだ、毎日4本以上ビールを呑む弟も「ぜったいに4本しか呑んでない」とオカンと毎日のようにケンカしているとのこと。ああ、これがすべて病のせいだとしたら、夢遊病一家、ちょっと気の毒ではありますね。(他人事のように)
本日のオススメ本ですね
先日サイトも紹介しましたが、世界中の子どもたちの寝室の写真集です。
大人はもちろん、物心ついたお子さんにも。世界を知るいい機会だと思います。
こちらのコラムは本家ハチの転載になります。
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狂人のトークショー&サイン会に真人間として出ますのできてね
告知ですよね。
「湯遊ワンダーランド」発売記念
まんしゅうきつこトークショー&サイン会
この写真マジでサイコーすぎませんか……。もう友人の誰よりも先に死にたいと思ってるけど、まんしゅうさんの遺影がこれだったらぜったいに見たいので、まあ万が一のことがあっても気持ちを強く持とう
ゲストというか、ふつーに茶のみババ友みたいな感じで私も話します。
恨まれたらヤバいしなんとしても行きます。
サウナ好きの方もぜひ…私はきらいですが……。
私は常人ですが、まんしゅうきつこさんは本当に気が狂ってるので、生粋のキチガイを見物しにきてね。
こちとら無職ですし、カンパも受け付けます。
来ない人はヤバいです。まんしゅうきつこさんの呪いによって家の観葉植物が枯れる。
まんしゅうきつこトークショー&サイン会
www.hmv.co.jp/store/event/33…
オマケ:
新宿で、野ションするまんしゅうきつこさんを撮影する(まんきつの)弟、江森くん(狂人ですが男前)
利用規約を制するものは世界を制す。
短編小説「蜘蛛の糸」が意外とショボいことが判明しました! (数的に!)
主たる規約たちの言いたいことをヒトコトにまとめた意識低い系です。
これさえ読めば、もう怖いものナシ。
利用規約をプリントして長さ比べ トップ10は、どこ? - デイリーポータルZ
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