【し】シラスとの戦い
本日のお題は【し】
ストレートに『死』しか浮かばなかったのだが、これはもう慎重に取り扱わなければならない。立ち入り禁止区域だ。
わたしにとってはもっとも縁遠い、カンケーないね!と思われていた『死』との距離が縮まった今、書き進めればコンランして支離滅裂になりそうな気がする。他人事だったら躊躇なく、ヘラヘラと書けるんだろう。
『死』は、ご存知のようにとてもヘビーな響きがある一方で、ギャグにもなりうる字。こんなにフリ幅の広い文字は、ほかにないのではなかろーか。
元気のカタマリのような人が、『死』とデカデカと書かれているプラカードを持って信号待ちしていたらウケる。トライアスロンをやってるような体型の人が、チャリで爆走しながら『死』Tシャツを着ていたら、
「ワッ!なにアレ!死に急いでる!」
とニヤけてしまう。距離があればあるほど、インパクトがあり笑いもとれる。そんな不思議な字です。死。これってわたしが不謹慎だからなんだろうか……。
あかの他人のお葬式で高笑いしていたらひんしゅくを買うが、もっとも身近な人の死で笑っていれば、気丈にふるまっていると言われる可能性はたかい。べつにそう言われたいワケではぜんぜんないし、いやむしろ冷めた目で見られるのは歓迎だが、わたしは両親が死んだら大いにふざけよう、とことんバカになろう、とにかくがんばるぞー!と、今から気合をいれている。
で、死については「死にたい人は、死ねばいい」そういうふうに思ってます。思っていますね、わたしは。
つーかここからが本題。実は「死」ではなくて「シラス」をお題にしたんだった。そのワリには長い序章だったが、「死」以外の言葉を探すのにどういうわけか苦慮した。最近、人生2度目の「シラスこわい病」にかかったことを思い出し、あそーだ、シラスだ、とココロの決定ボタンを押した次第です。
小学校1、2年だったと思う。ごはんに乗せていた「シラス」といきなり目が合った。一度気付いたらもう止まらなかった。おびただしい数のシラスのほとんどが、わたしを見ている! そう思った。にらみを利かせるでもなく、ただただ呆然と、アホみたいにシラスたちがこっちを見ているのだった。
「シラスがみんなこっち見てるよー。こわいっ!こわくて食べられないー。ママー!ぜんぶどけて〜!」
当時のオカンの性格上、間髪入れずに激高されたはずだがまったく覚えていない。わたしはオカン発狂の記憶が抹消されるほどの恐怖をシラスに味わったのだ。いや食べてない。ただただその怖さにおののき大量の死体を食べることを全力で拒否した。
それからは幸い発病することなくおいしくシラスをいただいていたはずだが、つい最近、いきなりこの「シラスこわい病」が再発。
あ、こいつ、わたし見てる......。からはじまって、当時を思い出した。
わたしはもう大人だ。より観察力も磨きがかかってしまった。まず、瞳孔はみな開きっぱなし。あたりまえだが目を閉じてるシラスは一匹たりともいない。よく見ればアッチの方を向いているものもいるにはいるが、ほとんどのシラスがやはりわたしを見ていた。なにかをあきらめきったように、うらめしい眼でじっと凝視していた。これでもか、とクネらせているカラダは死の瞬間にあえぎ苦しんだことを全身でわたしに伝えようとしているではないか。
キョエーーー!
ウギャアーー!
ギョエーーー!
アチーー!
阿鼻叫喚である。やっぱり恐ろしかった。
でも見てんの、こっちを。このうすら寒い、なにもかも放棄したような目がいっせいにわたしを見ているのだ。怖くないはずがない。この地獄絵図そのものを、わたしは食べるのか。
食べたねー。大人だからねー。もったいないからねー。
しかし一度試してほしい。いったんヤツらの目を意識しだすと、「シラス」が「死体」になってしまうことを、得体のしれないあの恐怖を、体感してほしい。
そしてわたしは死体の山を食べた。しょうゆをかけて、花かつおといっしょに、一匹たりとも逃しちゃならんと、ひとつ残らず。
今日のオススメ本ですね